復活節第3主日 2024年4月14日

復活節第3主日 2024年4月14日

 

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 使徒言行録 3章13~15、17~19節

第2朗読 ヨハネの手紙一 2章1~5a節

福音朗読 ルカによる福音書 24章35~48節

 

<お説教要約>

今日は復活節の第3主日になります。今日の聖書の朗読をみれば、2つの大きなテーマがあると思います。

一つは、福音書では、キリストは本当に体をもって復活されたことを強調しています。わたしたちが信仰宣言で、体の復活を信じますと宣言している裏付け、根拠になるところです。弟子たちは亡霊を見ていたと思っていたけれど、そうではなく、キリストは触れる体を持っているし、手と足の傷跡を見せて、まさしく十字架にかけられた同じイエスだと示して、皆の前で一切れの焼いた魚を食べました。本当に体をもって復活されました。事実をそこで証明しています。それは私たちの救いの完成のところでもあるのです。人間はもともと体を持っている存在だから、体がない状態は不自然です。今、天国にいる聖人たちは、霊魂だけど、私たちの想像をはるかに超えている幸せ、喜びがありますが、一つだけ物足りないのは、体がないことです。それは世の終わりに、皆が復活するときに完全に幸せになります。体も救いにあずかります。人間は全身全霊で救われるということをここでもキリストは伝えています。

 

もう一つの大事なテーマは、悔い改めです。普通は四旬節のテーマと考えられています。でも実際には復活節にも一つのテーマになります。今日の朗読の聖ペトロの説教にも、キリストの受難と復活を皆に伝えて、勧めています。「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」と。キリストも弟子たちを遣わすにあたって、罪のゆるしを得させる悔い改めが、キリストの名によって全ての国の人にのべ伝えられるようにと指示を与えます。聖ヨハネも第2朗読で、わたしたちが罪を犯したら,主は弁護者、わたしたちのためにとりなす方、罪を償ういけにえですと、言っています。

 

どうして復活のメッセージが悔い改めにつながるかというと、特に現代人にとって、一つ大きなことは、この世は全てではないということです。今の現代人にとって、信仰は個人的、趣味みたいなもの。この間亡くなられたながしま先生の本にも一つのエピソードが書かれていました。4月の新入社員は先輩に迎えられ、先輩は聞きたいことがあればなんでも遠慮なく聞きなさいという、本人は長い間思い巡らせた問題について、これは機会だと思い、「わたしたち人間はどこから来てどこへ行くのか、人生の意味はなんですか?」と聞くと、先輩に笑われて、そのようなことを考えるより、もっと真面目に仕事をしなさいと言われてしまいました。現代社会の態度です。

 

でも、それは大きな間違いです。キリストの復活によって証明されました。キリストがあの世から来られて、自分が復活されたことは、本当に神様から来られた方です。本当に神の子です。と証明されます。例えば、現代人は宇宙人のことも考えます。宇宙人が地球を訪ねたら、人類全体は大きな衝撃になると思っています。わたし個人は宇宙人をそれほど信じませんが。万一宇宙人がくるとしても、宇宙人も私たちと同じように主なる神に造られたものにすぎないのです。でも、それよりもっと大きなことがすでに起こったのです。創造主の神が、キリストを通してこの世界に突入されました。ご自分をもっとはっきり示したのです。

 

ご自分を示した主なる神は、人間にその応えを求めます。その応えは回心と言います。悔い改め。現代人にとっては、自分がこの世のことばかり考えていることを悔い改めて、主なる神の存在を認めて、それを自分の生き方の基本にする、そういう回心です。神に立ち返る原点です。主なる神はずっとおられますが、現代人はその存在を無視しています。いろいろなこの世のことばかりを大切に思っています。キリストが来られて受難と復活を通して示されたことは、それより大切なこと、永遠の命と永遠の滅びのことで、永遠の喜びに入るか永遠の苦しみに入るか?人間にとってそれより大切なものはないのです。人間の命に入るために来られました。

 

わたしたちキリスト信者は世間の影響を受けます。ここでは、わたしたちも自分の生き方を振り返って、反省するような機会だと思います。どれほどわたしたちも影響を受けているでしょうか?もともとは、わたしたちは信仰の歩みの中で、社会生活を送るべきです。でも、誘惑としては、社会生活の歩みの中で、信仰生活を送るというような傾向があるのです。社会の生活の方を優先させる、そこは悔い改めるべきところです。特に今の世界は今までになかったようなすごく危ない状態です。戦争もすでにあるし、他の国は戦争に備えて準備をしている。何かの火種があれば、今の戦争がどんどん広がる可能性が十分あり、核兵器の使用も十分可能です。それぐらいの危ない時代に生きているわたしたちは、何が起こるかわからない、信仰が試されます。その中で、まずわたしたちは、信仰をしっかり持つ必要があります。今、キリストが本当に復活されたと示したこと、その信仰を本気にします。

 

その意味は私たちの世界は違うのです。神様の前の世界で、神様の前に生きている者で、死んだら神様の前に出て、裁きを受ける者だという意識のもとで生活して、信仰の歩みをして、その中で社会生活を送るようになるということです。毎日の祈りを大切にして、特に聖母マリアへのロザリオの祈りは勧められています。秘跡、特に赦しの秘跡、ご聖体の秘跡、聖書も大事にする。第2朗読で聖ヨハネが勧めているように、聖書を読んで黙想して実行に移すこと。そうすると、わたしたちの信仰が深まります。わたしたちは、気づいても、気づかなくても、自分の中でどちらかを選びます。キリストか自分か、キリストに従うか、世間に従うか?どちらかになります。その選択によって、わたしたちの永遠が決まります。永遠の喜びか、永遠の苦しみか?どちらかになります。その意味では特に今日の朗読をみれば、キリストの復活を祝いながら、わたしたちは、回心に呼ばれています。