復活節第2主日 2024年4月7日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

 第1朗読 使徒言行録 4章32節~35節

第2朗読 ヨハネの手紙 5章1節~6節

福音朗読 ヨハネによる福音書 20章19節~31節

 

<お説教要約>

第二主日は復活8日間の締めくくりと言えます。聖ヨハネ・パウロ2世教皇の時から「神のいつくしみの主日」と定められました。これは聖ファウスティナを通して示された神のいつくしみのメッセージに基づいています。

同時に福音書はヨハネの20章を読みます。聖トマスが最初いなかったので、主の復活は信じないと言いましたが、主を見て信じるようになりました。ここに今日のテーマとの関係も感じられます。福音の最初では、弟子たちはユダヤ人を恐れて戸に鍵をかけていました。恐怖に捉えられていました。キリストが捕えられ、十字架に架けられて死んでしまった出来事から3日目の夜のことです。弟子たちが恐怖に捉えられていたところに主が来られました。そしてニ回も、「あなたたちに平和があるように」と平和をもたらされたのです。怯えている弟子たちへの主のいつくしみです。

 

この平和は世が与えるような平和ではありません。主は続いて弟子たちに息を吹きかけて、「聖霊を受けなさい、誰の罪でも、あなた方が赦せば、その罪は赦される」と言って罪の赦しに言及されます。ここに世の平和との違いが見られます。主が与える平和は神との平和であって、それこそ人間に一番必要なものです。この平和がなければ人間は様ざまなことを恐れ、それに捉われてしまいます。アダムとエヴァは罪を犯してから心が変化して、恥ずかしい思い抱き、怖くなって隠れました。主との平和があれば人は怯えたりしません。ここでは信仰の働きも大きいのです。

 

どうしてトマスは初めいなかったかは説明されていません。信じないと弟子たちに言いましたが、主を見てからは素晴らしい信仰告白をしました。「わたしの主、わたしの神よ」と。これは聖ぺトロの信仰告白より素晴らしい。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と言いましたが、トマスは「神である」と告白しました。これはすごい信仰です。目の前に見ている方は人間となられた神であると認めたからです。

 

この信仰は人間を平和に導く信仰です。これによって神と平和になり、信頼関係に導かれます。何よりも安全です。自分の神であるキリストに結ばれるのですから確かです。真の神、真の人間であるキリストに守られるならそれ以上の安全はありません。

 

これは第二朗読につながります。ヨハネは「世に打ち勝つ勝利は私たちの信仰です」と言います。世に勝つと言う表現は、世からのものに服従しない、信条を曲げない、という意味です。弟子たちが殉教のときに示した態度です。死んでから世の力を滅ぼすと言うのとは違います。世が自分に勝つことができない、その意味でキリストも世に打ち勝ちました。最後の晩餐の時にキリストは弟子たちに話されました。「あなた方には苦難がある、しかし勇気を出しなさい、私は世に勝った」と。十字架に架けられる直前にこう言われ、実際に十字架に架けられましたが、世は勝ちませんでした。主は復活されました。

 

勝利への信仰、私たちの信仰は主キリストに対する信仰です。使徒たちの時代から受け継がれた信仰です。使徒的信仰。教会は使徒的教会で、伝えられた信仰が世に打ち勝つのです。この信仰から外れて、騙されたり、迷わされたりして、伝えられた信仰とは別の「福音」に乗り移ろうとすればそこはもう安全ではありません。本当の主を信じなくなる恐れがあります。

 

これは現代への一つの大切なメッセージです。世界の情勢は決して好ましいと言えません。かなり心配になる情勢です。戦争、自然災害だけでなく、信仰に対する態度にもあると言えます。信仰に対して、抵抗、圧力も増しています。いろいろと偽りの福音を伝えようとする人たちがいます。惑わされないようにしなければなりません。使徒たちからの信仰に踏みとどまる必要があり、これは肝心なことです。教会の歴史もそうでした。

 

日本のキリシタン時代にもそうでした。使徒的信仰に踏みとどまった信者たちは困難、迫害の中にもキリストを信じ、司祭も宣教師もいない中で7世代も信仰を守りぬきました。それは本当に大きな奇跡です。教会の歴史の中で稀なことでした。そのような信仰が今の時代に必要です。特に今日、神のいつくしみの主日に神のいつくしみを願って、日本の殉教者、聖人たちの取次ぎによって、私たちも使徒的信仰に踏みとどまる恵みを心から祈りましょう。