四旬節第3主日 2024年3月3日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 出エジプト記 20章1~17節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 1章22~25節

福音朗読 ヨハネによる福音書 2章13~25節

 

 

<お説教要約>

今日は四旬節第3主日です。ここで私が感じるテーマは「主なる神の熱情」、第1朗読では主なる神は熱情の神であると、特に偶像崇拝を禁じるところで言われています。ここで言う熱情は妬みとも訳されるそうですが、その言わんとするところは人間的な解釈とはちょっと違って、主なる神は人間の心がご自分から離れないように、離れることを許さない、そういう熱情を持っているということです。それは偶像崇拝に走ることも含めています。特にもう一つの側面は、主なる神が大切にする人は離れないでほしいというのと同時に、ご自分を離れる人間はダメになるということもご存じです。聖書の経験を通して分かったことは後で出てくる言葉のように、偶像は虚しいものであり、それを追いかける人間も虚しいものになる、偶像崇拝はあらゆる罪のもとにもなるということ。それは主なる神の熱情です。

 

キリストもそれを表しています。今日の福音書でキリストは神殿を浄め、そのとき弟子たちは聖書の言葉を思い出した。「あなたの家を思う熱意が私を食い尽くす。」イエズスの熱意、御父を思う熱意、それも同じように民の心が主なる神から離れないようにということ。解釈にもあるように、神殿では動物などのいけにえを捧げる習慣があったけれど、それを神殿の中にまで持ち込むと、人の思いでは商売やいけにえのためのものが中心になる恐れがある。神殿はもっぱら祈りの場所にすべきです。人が捧げものに囚われ捧げることにこだわるなら、そこで終わってしまって心が入らなければそれもいけないことです。キリストも同じような熱意を持っています。熱情の神のその熱意は、私たちにも向けられています。今も、主はご自分の民がご自分から離れることを許されない。離れてほしくない。ご自分の選んだ民を大切にする。私たちはご自分の血によってあがなわれた民なので、旧約時代の民より主なる神にとっては大切です。でも、それだけの恵みを戴いたのに離れたら人間はダメになる。主はいつも、いけにえよりも何よりも私たちの心を求めています。旧約の預言者も主の言葉を受けて伝え、キリストも繰り返して言われました。主はいけにえよりも慈しみ、愛する心を求めています。

 

そして信頼、キリストが教えているように、ご自分に信頼してほしい。人間は自然に自分の安全を考える。特に今の世界は安全第一という考え方で、いろいろ工夫して人の安全を図っています。それ自体はいいことでしょうけれど、ただ信者としては自分の安全のためにそれをあてにすることはよくない。それを利用しても、あくまでも自分の安全は主に委ねるべきです。そういう態度を主は求めらておられます。私たちも他の人と同じように不安を感じることもあるけれど、信仰者としてはその反応は違うはずです。不安を感じるとき、信仰のない人だったらどうやって将来のいろいろなことを保証できるか、いろいろ考える。私たちの場合は一応取るべき処置をとった上で、それだけではなくそれよりも自分の将来、自分自身を主に委ねることが大切です。信頼を込めて。私たちの希望を主にかけるとき、主に自分の安全を委ねるなら、何があってもそれほど動揺しないのです。でもそれは、いろいろな経験を積み重ねていく中で育つ信頼の心です。

 

今後はもしかしたら厳しい時代がやってくると私は想像しますけど、その前に特にこの四旬節の間私たちは次のことに力を入れたらいいと思います。主に対する祈りの中で、自分と自分の将来、自分にとって大切な人…すべてを主に委ねる。すぐにそういう気持ちにならなくても、少なくともその意思表示として、「主よ、あなたに委ねます。何か問題が起こったり悩みの時は、主よ、あなたにこれを委ねます」と。そして、主の導きに従って自分のできることをするのだけれど、自分の努力に解決を期待しないで主の恵みに最終的に解決を期待する、そういう信頼の心、それは人間の心の平和の大きな鍵です。