年間第3主日 2024年1月21日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 ヨナ記 3章1~5、10節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 7章29~31節

福音朗読 マルコによる福音書 1章14~20節

 

<お説教要約>

今日は年間第三主日です。何年か前から教皇フランシスコは、この日を「神のことばの主日」と定めたんです。教会の中のみことばの大切さを強調するためです。実はごミサを捧げるとき、二つの食卓が用意されています。みことばの食卓とキリストの御からだの食卓。キリストの御からだをいただく大きな恵みはあります。もう一つ、大きな恵みは聖書を通して主のみことば。それもわたしたちを養うんです。この時期を選ばれたのはキリスト教一致週間にあたるからです。ご聖体においてはカトリックとプロテスタントはそこまで一致していません。みことばに対しては同じ聖書を読んで、ある程度解釈が違うにしても、大きな共通点です。みことばに立ち返ってもっとキリストに近づくならカトリックもプロテスタントももっと一致するようになります。今日の朗読をみれば関連するところがあります。みことばの力強さがしめされています。たとえばヨナに向けられた主のことば。ヨナはただちに言われた通りにしたのです。そしてみことばを伝えたらニネベの人たちは皆、回心したのです。

 

さらに力強いことばは、キリストのことばです。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」力強さはあとの弟子の召し出しにもみえるのです。その人を呼んだらすぐについてきました。キリストのことばは預言者より強いです。預言者は主のことばを預かっています。でも聖ヨハネが説明しているように、キリストは神のみことばでありながら、肉となった神のみことばです。ですから無限に力強いみことばです。

 

普通の先生だったら生徒に道を教えて、たとえば武道、茶道、書道のように弟子が道を極めるように指導します。キリストはそれ以上にキリストご自身が道となられました。聖ヨハネが伝えているようにキリストはご自分のことを道・真理・いのちと言われたのです。ですから普通の道と違って、その道を開いた方と切り離すことはできないのです。他の道はそれを極めたら先生と結びつかなくてもその道を続けます。でもキリストの弟子は、キリストから離れたらもう歩めないのです。一生、キリストのうちに歩むのです。

 

もう一つ力強いことばがあります。第2朗読にある聖パウロのことばです。コリントの信徒への手紙ですがわたしたちに書かれたような気もします。「定められた時は迫っています。この世の有様は過ぎ去る」と言うのです。キリスト中心に生きるように呼びかけています。

 

わたしが最近読んだものでは、100年くらい前、19世紀の終わりの教皇レオ13世の時から歴代の教皇たちは、みな終わりの時が近づいていると警鐘をならしています。なぜかというと多くの人はキリストを離れて信仰を捨てる現象が増えていくからです。と同時に悪の力が増したことも感じていました。聖パウロが警告していた滅びの子、不法の者、その時代が近づいていると歴代の教皇たちは感じて皆に備えるように呼びかけてきました。教皇フランシスコもそうです。今のわたしたちの時代は完全に困難がますだろうという見込みです。

 

個人的にもここ7、8年くらい、世界に悪の力が驚くほど増していると感じます。でも聖パウロは伝えています。終わりのときにそういうことがあるのです。でも最後に主キリストご自身が悪の力を滅ぼします。主の大勝利です。自分の十字架を通しての勝利をはっきりとあらわすことになります。勝利は約束されています。でもこれからかなり難しい時代に入るからわたしたちは主のことばを心にとめて、主のことばを信じて実行して、決して主から離れないで主のうちにいつも主に結ばれて主の道を歩めるように心がける努力がますます大切になります。わたしたちはキリストを信じるかキリストを捨てるか選択を迫られる時がくるのではないかと思います。わたしたちは今のうちにもっと固い決心でキリストを選びます、キリストについていきます、何があっても何よりもキリストを頼りにしてキリストを目指すように、そういう心を保つように願うことは大切です。