聖家族 2023年12月31日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 創世記 15章1~6、21章1~3節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 11章8、11~12、17~19節

福音朗読 ルカによる福音書 2章22~40節

 

 

<お説教要約>

今回は聖家族の祝いです。いつもクリスマスと神の母聖マリアの祭日・元旦の間に祝われています。それは季節に合っているものです。というのはキリストが神の子でありながらマリアの子と生まれた理由は人間が生まれ変わって新しい人となるためです。神さまは人間を個人として造られたわけではないのです。聖書が説明しているように人間を男と女に造れられて祝福して産めよ増えよと命じられたんです。主は人間を夫婦として造られたのです。創造のときから家族という形を定めておられたのです。家族というもの自体は神さまの創造の技の中にあるのです。そういう意味でキリストは人間一人一人が新しい人になるだけではなく、家族が生まれ変わって新しい家族になるように、要は聖家族のようになる恵みを与えるために来られたのです。本当の人間の救いは人間同士共同体の中の救いです。そのためにキリストはわたしたちをご自分と結ばれてご自分の体の一部としてくださったのです。

 

今日は朗読にあるように試された信仰が一つのテーマ。今回はとくに家族に関する試し。第一朗読にあるように主なる神はアブラハムに大勢の子孫を約束してくださった。でもかなり年をとっても子どもはなかなか恵まれなかった。そこでアブラハムは約束なさいましたが、これはどうなるでしょうかと言ったら、主ははっきりとあなたから生まれる子によって子孫はあると。アブラハムは主を信じて、主はそれを彼の義と認められた。アブラハムの信仰も試されたのです。約束を長い間実現されなかった。でも神さまはその約束を繰り返して、アブラハムは新たに主を信じてそれは正しいことと認められた。第二朗読の「約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。」アブラハムもそうでした。最初の夫婦のアダムとイブとは反対です。アダムとイブは主を疑ったのです。主が禁じたことを疑ったのです。アブラハムは、はっきりと分からなくてもそれでも信じたのです。第二朗読にあるようにアブラハムはそれでも試されました。イサクを捧げるようにと主に言われたとき。ちょうど約束がイサクを通して実現することになっているのに、イサクを捧げる。すると自分の愛する子を失うだけでなく、約束が無に帰ることになるのです。それでもアブラハムは信じた。アブラハムの信仰が最高に試されたときでした。アブラハムはそれでも信じたから主に大いに祝福された。

 

それはアブラハムの場合だけではなく聖家族もそうです。聖家族は主を信じて始まったのです。聖母マリアが天使のお告げを受けて「私は主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように」。主に聞き従って信じて信頼したわけです。そこで神の子を生む大きな役割を与えられたのです。ヨゼフも主を信じたのです。聖母マリアと縁を切ろうと思った時、天使が夢に現われて「畏れずにマリアを迎えいれなさい」と。そしてヨゼフも言葉とおりに行ったのです。主を信じて主を信頼して。将来はどうなるか分からないまま、主を信じて従ったのです。第二朗読のアブラハムみたいに故郷を離れて行き先も知らずに出発したのです。喜ばしいことにキリストが生まれて、それは聖母マリアも聖ヨゼフも大きな喜びだったと思います。普通の親でも子どもの誕生は喜ばしいことです。聖母マリアと聖ヨゼフにとってはこの子は特別な子だったから特別な喜びになったと思います。シメオンが預言した「異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れ、万民のための救い」それに二人は驚きました。特別な子だとはわかっていたが、これほど偉大とは考えなかったかもしれない。それでも試練は伴います。シメオンも預言しました。聖母マリア自身は剣で心を刺し貫かれます。苦しみの預言です。

 

教会の理解ではそれは十字架のもとに立った時に実現した。その前から苦しみはあったけれど頂点は十字架のもとでした。我が子がもだえ苦しんで死んでいくことを見つめるのは、このうえない苦しみだったことでしょう。聖母マリアが引き受けた役割は苦しいところもあったのです。それでも信じて信頼して聞き従ったのです。着いて行ったのです。最後の最後まで。だから聖母マリアは天国で,他の聖人や天使たちより栄光を受けています。そこまで忠実に主を信じてついて行ったからです。

 

それはわたしたちに与えられた模範でもあります。わたしたちの家族は聖家族のようになかなかなれない。家族がそうならないことに気を落とすより、主に希望をかけるように、主に対する信頼を新たにすることが大切だと思います。場合によっては人は努力してなんとかして家族をもっと幸せにしようとする。もちろん努力も必要です。でも何よりも主に希望をかけて、自分の家族を主に委ねて主に信頼して。主の力は自分の力を無限に超えています。主の恵みが働くときには人間が想像がつかないような良いことがでてきます。いろいろな自然をとおして、最終的に主の恵みがあらわれて救いとなります。