年間第32主日 2023年11月12日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 知恵の書 6章12~16節

第2朗読 テサロニケの信徒への手紙一 4章13~18節

福音朗読 マタイによる福音書 25章1~13節

 

 

<お説教要約>

 今年も典礼暦年のも終わりに近づいています。正しい典礼暦の年は待降節の第一主日から始まります。それに伴って教会は世の終わりに関する朗読を準備しています。今日の福音朗読の10人の乙女たちの話もその中に入っています。世の終わりに向かって準備が必要あることと、またどういう準備をするかを教えています。

 

わたしたちへの教訓は最後に記されています。「目を覚ましていなさい、あなたたちはその日、その時を知らないのだから」と。「目を覚ましていなさい」というのは、体の目のことを指しているのではありません。喩えを見ればわかりますが、賢い乙女たち、つまり婚宴の席に着いた乙女たちも、他の乙女たちも眠ってしまっていたことからもわかります。これは精神的な意味でとらえるべきです。

 

賢い乙女たちと愚かな乙女たちとの一番大きな違いは、準備の段階のことです。賢い乙女たちは先を見通し、花婿が遅れる可能性も考えて、ともし火を十分用意しました。愚かな乙女たちはそこまで考えが及ばず、準備ができていませんでした。予想外のことに準備をしていませんでした。精神的な準備、心の準備ができているか、特に信仰における心の準備ができているかどうかが大事です。

 

この喩えを比ゆ的なことと解釈すると、予想外に何か生じた場合でも信・望・愛の炎が消えないように心の準備をしておくこと、覚悟をしておくようにということです。信仰の歩み自体を力強く続けることは心の準備になります。しかし、振り返ってみて、自分はここまで心の準備ができているだろうかと考えてみるだけではわかりにくいと思います。

 

ここで、最近のわたしたちの経験を考えてみるとよいでしょう。最近わたしたちは急に、予想外のこと、コロナ禍を経験しました。4年前の今頃、中国でコロナ患者が少し出たという話が耳に入りましたが、あっという間に日本もそれに襲われ、わたしたちの生活が一度に大きく変ってしまいました。あの時の不安な思いは忘れられません。あの時の心の反応として、備えていた信仰の歩みがなかった人はどうしようもありませんでした。動揺したのであればそれは心の準備ができていなかったしるしですから、これから準備するようにとの呼びかけになりました。主はすべてを通して導いてくださいますから、コロナ禍は信仰の目から見れば、目を覚ましていなさいという呼びかけになります。

 

特に大事なことは騙されないことです。今コロナはある程度おさまって、規制は緩和されましたが、これからすっかり大丈夫と言いうことではありません。コロナであらわにされたのはグロ―バル化の弱点でした。グローバル化は確かに良いこともありました。それによって世界はもっとつながっているようになり、実際に貧しい人の生活は改善されました。経済的な発展もありました。しかしその反面、世界はもっともろいことがわかりました。それだけつながっているので、影響を受けやすいということです。今後も大きな戦争、災害が起こると世界全体が大きな打撃を受け、混乱しやすくなります。もろい面があります。そういう、或いはそれ以上のものは十分に起こり得るのです。

 

コロナ禍の経験を受け入れることがそれこそ賢いことです。これまで足りなかったと気づいたなら、信仰の歩みの面でもっと力を入れる必要があるでしょうし、それほど動揺しなかったとしても信仰をさらに深める必要があります。その態度は主に対する信仰と信頼にあります。主がすべてを支配しておられるのですから、戦争、禍があってもそれが主なる神の摂理の枠の中にあると信じましょう。主に信頼して、困難の時も主に希望を持つなら、主が守り導いてくださることが心の支えになります。

 

これによってわたしたちの信仰・希望・愛が浄められます。そのようにこの時を生きるなら、わたしたちは喩えの賢い乙女たちのようになり、主が来られるとき、個人のことかもしれませんが、わたしに死の時が訪れ、わたしが賢い乙女たちのように精神的に準備しているなら、主が迎えに来られ、主に迎え入れていただけるでしょう。