聖霊降臨の主日 2023年5月28日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 使徒言行録 2章1~11節

第2朗読 コリントの信徒への手紙1 12章3b~7、12~13節

福音朗読 ヨハネによる福音書 20章19~23節

 

 

<お説教要約>

今回の祝いは、聖霊降臨のお祝いです。これで、復活節の締めくくり、頂点と言いましょうか、主の受難、復活、昇天、聖霊降臨で、一連の神秘の祝いをします。まず、約束されている霊という言葉自体ですが、言語では、ヘブライ語でも、ギリシア語でも、その言葉の元の意味は、息、息吹、または、吹く風の意味だったそうです。次第に発展して、今の霊という意味にもなりました。その由来のことは、今日の箇所でも見られます。例えば、イエスは弟子たちに聖霊を与える時は、息を吹きかけて言われたのです。「聖霊を受けなさい」と。聖霊降臨の日に、聖霊が弟子たちの上に降ったとき、聖霊の到来を告げたのは、激しい風が吹いてくるような音でした。

 

そこで、由来の意味が見られます。聖霊の働きはこの二つのイメージにそって分けられるように感じます。二つの違い、まず、息は根本的なところです。人は息を引き取ったらおしまいです。息あるのものは、生き物という、生き続けるために根本的な欠くことのできないようなものです。激しい風というのは、もっと力強い、力の現れ、不思議、特別のようなものです。聖霊の働きはこの両方があります。例えば、今日の第2朗読を見れば、聖パウロは最初に「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』とは言えないのです。」と言っています。

 

当時の初代教会では、イエスは主であるという言葉は、一番短い信仰告白でした。ここで、聖パウロが言っているのは、聖霊によらなければ誰もイエスを信じることができない、ということです。信仰そのもの、私たちの信仰生活の根本になるところは、聖霊による働きです。それは一番欠くことのできない根本的なところです。それが欠けたら、もう信者ではないということになるのです。でも、聖パウロが続けて、聖霊がそれぞれの人に与える賜物を言います。これはみんなに与えるものではなくて特別なものです。パウロはいくつか例を言っていますが、今日の箇所では省かれています。中には、知識の言葉、知恵の言葉、病気を癒す力、奇跡を起こす力、予言する力、不思議で、聖霊の力がもっとはっきり現れるような、目立つ現象を指しています。みんなに同じように与えられるのではなく、それぞれに与えられた賜物です。

 

現代の教会の中でも、不思議なところはあります。聖霊による刷新運動の中などであります。ただ、教会にとっては、聖霊の働きで、聖パウロが言うように教会のためです。根本的なことより重視すると困るのです。聖パウロ自身も、今日読まれた12章の箇所の後、13章では、あらゆる賜物の上に一番優れているのは、愛です。と言っています。愛し合うこと、愛がなければ奇跡を起こしても、予言するなど不思議なことができても、無に等しいと、そこまで断言しています。信仰、愛、希望、それこそ、もっと根本的なところです。人間としては、不思議なものは惹かれるし、感心するし、もっと大切にしようとする誘惑に落ちいるのです。受け止め方によっては、聖霊の賜物でさえ、キリストから離れるきっかけになるのです。不思議なところです。 

 

今、私たちに特別な賜物を持っている人はあまりいないと思いますが、共同体として、聖パウロが言っている様々な賜物はあると思います。才能の違い、ある人はこれが上手、別な人はこれが上手と。そういうところも聖霊の賜物の事だと思います。同じように根本的な信仰、希望、愛より大切にすると困ります。教会の中で、奉仕して貢献している人がかなりいる、それはありがたいことです。それによって共同体として活動もできるのです。ただ、その中で、この活動、あの活動とあまりにも重視して、全体を忘れるのも困るし、ある人が一生懸命やって、自分ができるからと他の人を見下すような態度になったら、それは愛に反するようなものになります。むしろ、自分にできないことは、他の人ができるということを喜ぶべきです。自分ができることを他の人ができなくても、その人は、別な賜物を持って、別のところで自分よりできることがあると考えるべきです。それぞれの賜物があるのです。

 

それを受け入れると共同体としては、もっと成長するのです。聖パウロが説明しているように全部、全体のためのものです。横浜教区の方針でもあります。交わりを目指している教会です。私も経験しています。小教区に行っていろいろな人と関わることによって、私もいろいろ学びます。私が考えたことでも、他の人は違う表現をしていて、私も学び、教えられることがあります。共同体の中で、誰でも学べるところはあり、誰からでも私たちに何かをもらうこともある。自分も他の人に与えることがあります。今日の聖霊降臨には、それは一つのメッセージではないかと思います。私たちの共同体は、互いのことに対する思い、他の人との違いを気にするより、批判したくなることより、むしろそれぞれの周りの人の良いところを見つけ出そうとして、神に感謝して、自ら成長のために他の人から学び、助けてもらう、他の共同体の人をそういう目で見れば、聖霊の働きがもっと豊かになります。