「私が来たのは、羊が命を受ける為、しかも豊かに受ける為である」(ヨハネ 10 : 10)

復活節第4主日は「良い牧者の主日」とも呼ばれ、毎年、ヨハネ10章から「羊と羊飼い」のたとえが読まれます。キリストの声を聞き分けてついて行く「羊」にたとえられているキリスト者は、豊かに命を受けるようになります。聖書で言う「命」の概念は一般的に使われている言葉に比べると、もっと広い意味、もっと深い意味を持っています。旧約聖書では「命」は生命を持ち続けることだけではなく、健康、安定した生活、幸せや喜びも意味していました。

 

「命」は主なる神からの賜物で、主なる神との関係において保たれます。主なる神から遠ざかる罪は、「命」を害しますので、悪を行うことは「死」であり、善を行うことは「命」です。新約聖書では「命」は更に深い意味になります。「永遠の命」になって、回心と信仰による罪の赦しを通して、あらゆる苦しみと死さえからの解放によって終わりのない完全な愛や平和や喜びです。その完成は、今祝っているキリストのご復活による私たちの体の復活と天国での至福に入ることにあります。

 

そして教会は私たちキリスト者の第一牧者であるキリストのことを黙想しながら、キリストの救いのみ業に協力して、全ての人が豊かな命を受ける為に働くように呼ばれている司牧者(司教、司祭)のことも考えます。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから収穫の為に働き手を送って下さるように、収穫の主に願いなさい」 (マタイ9 : 37-38)、とキリストの言葉を受けて、教会はこの日を「世界召命祈願の日」と定めています。これが年に一回の祈りに終わらないように、横浜教区では「一粒会」があります。荒井司教様の時代から特に盛んになりましたが、今までの司祭召命に大いに貢献して来ました。横浜教区が司祭召命に恵まれているのは、一粒会の活動にもよると思います。「塵も積もれば山となる」と言う諺のように、一人一人の「一粒」を合わせたら大きな力になって大きな恵みを頂くことになります。その「一粒」は誰でもできる司祭召命の為の祈りや犠牲、そしてできる方の司祭養成の為の献金です。一人でも多くの方がこの活動に参加して頂ければと思います。

 

一粒会会員の祈り《司祭の召命を求める祈り》

神である父よ、教会に聖霊のいぶきを注いでください。あなたの愛の招きにこたえて、神と 人々に仕える司祭をわたしたちのうちから召し出してください。主、キリストによって。 アーメン。