聖金曜日 2023年4月7日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

朗読 イザヤ書 52章13節~53章12節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 4章14~16節、5章7~9節

福音朗読 ヨハネによる福音書 18章1節~19章42節

 

<お説教要約>

今、教会は主の受難の記念を盛大に記念して祝っています。聖なる3日間の中で。この偉大な神秘を前にして私たちには言葉がありません。ですから教会はこの偉大な神秘の記念を沈黙のうちに行なっています。今こそ偉大な神秘を思いめぐらす機会です。普通の人でも、罪のない人が不正な裁判にかけられて殺されてしまうことはとても悲しいことですが、神の子、私たちの救い主が十字架にかけられて殺されるなら、誰が十字架に架けられるよりも私たちは深い悲しみを感じ、驚くばかりです。

この業、主なる神の偉大な愛と慈しみを私たちは祝うのです。旧約時代に主は数々の方法でイスラエル人に愛と慈しみを示されました。彼らはその愛と慈しみ、力に満ちた業を讃えてやみませんでしたが、その旧約時代のすべての業に対して、新約の、キリストの業は遥かに偉大な業です。

 

主なる神は正義の神で、罪を必ず罰します。でもこのキリストのみ業によってキリストご自身が人間となり、キリストご自身が私たちが受けるべき罰を自ら受けられたのです。罪のない方ご自身が。それは第一朗読のイザヤ書で預言されています。しかもその罰、人間が受けるべき罰を、キリストは人間に代わって人間から受けたのです。これは言葉では言い尽くせない慈しみとへりくだりと愛の業です。こうして主なる神の憐みは神ご自身の正義に優先したのです。実際にこれ以上のもの、これ以上の愛の慈しみはあり得ません。神はそこまでなさって人間に訴えられました。ご自分に立ち返るようにと。私たちは今それを思い廻らし、感謝し、祝っています。

 

同時に私たちは問いかけられています。そこまで憐みを示してくださった神は私たちに問いかけおられます。これに対してあなたはどう応えますか?と。神の正義に背いて罪を犯した人は神の愛に訴えることができます。しかし、神の愛に背いて罪を犯した人はもはや訴えるところがありません。この偉大な神秘は私たちの救い、解放、いのち、幸せを与えるものです。私たちはそれを受け入れて応える必要があります。主なる神はご自分と私たちの間を妨げているものを取り除いて、私たちが立ち返れるようにしてくださいました。そして、そこを歩むように私たちに呼びかけておられます。

 

すべての人のための救いの業を成し遂げられた主の十字架の前で、一番ふさわしい感謝と賛美は私たち自身が神に立ち返り、主が示した下さった愛に心から応えること。これこそ主を相応しく礼拝することであり、これこそ私たちの最高の幸せでもあるのです。