四旬節第2主日 2023年3月5日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 創世記 12章1~4a節

第2朗読 テモテへの手紙2 1章8b~10節

福音朗読 マタイによる福音書 17章1~9節

 

 

<お説教要約>

 私が隣の幼稚園の園長を務めてから、もう5年位になるでしょうか…。私にとっては本当に勉強になります。幼児教育を理解し先生たちと一緒に取り組む中で、大人にも十分通じるところがあるとよく感じます。今は文部省の方針によって、子どもの主体性ということがよく唱えられていますが、それは子ども自身が自分の成長の主人公になるようにということを目指しているのです。特に子どもの意欲、進んでやる気を起こすよう耕す、それが一つの大きなカギです。子どもが進んで何かに取り組むとき、ほとんどの場合のびのび成長していきます。大人でも、意欲はとても大切です。

それはちょうど今回の四旬節第2主日のテーマにも関連しています。毎年この主日には、キリストの変容の場面が読まれます。変容の場面は私たちの目指す目的を示しているので、それを十分理解してその偉大さを悟ったら、もっと意欲がわいてきます。

 

キリストの変容の意味は二つあります。一つは、キリストご自身のことです。集会祈願にあるように、キリストが受難を通して栄光に入ることを弟子たちに前もって示しているのです。それはキリストが歩まれた道ですが、私たちにとっても意味があります。主はご自分の歩まれた道を私たちのために開いてくださったのです。私たちも同じように、苦しみを通して栄光に入るよう呼ばれています。それは聖パウロが言っている「聖なる招き」です。この「聖なる招き」によって、私たちは罪の支配から呼び出され、永遠の命、喜び、栄光に与るように呼ばれています。それはとても素晴らしい偉大な身に余る恵みです。しかし、私たちはその恵みを十分理解していない。その偉大さ素晴らしさをもっと理解したら、もっと自然に意欲がわいてきます。この四旬節の回心の歩みの中で、これも一つの心構えです。

 

四旬節は回心に努める時期です。伝統的に、祈り、断食、施し、愛のわざなどに努める期間です。心を浄めて復活祭をもっとふさわしく迎えることができるように、もっと喜びをもって迎えることができるように。でもそれを義務や責任として受け止めたら、四旬節の初めに努力して始めても、大概、最後まで続けるのはなかなか難しい。大きなカギは、努力することより意欲をもつことです。意欲がわいてくれば人は努力を惜しまないけれど、意欲があまりないところでは努力は結構負担になり、長く続けることは難しくなります。本当に、意欲がわいたら全然違うんです。子どもたちにもそれが見えるんです。何かに挑戦するとき、意欲がわけばもっと積極的に他のことにも取り組むんです。最初できないとしても簡単に諦めないで、また頑張り続けるんです。それは強制されたからではなく、子ども自身がそれを望んでいるから意欲的な積極的な心になるんです。

 

私たちも同じような心になれれば幸いです。でもどうやって?一つは、その大切さをわきまえてそこで恵みを求めることから始めたらいい。「主よ、どうかあなたの愛をもっと深く悟らせてください。」主が「聖なる招き」によって、どれほど素晴らしい偉大な恵みに呼んでくださったか。しかも聖パウロが言っているように、「それは私たちの行いによるのではなく、主ご自身のご計画の恵みによって呼び出してくださった」のです。それをもっとありがたく思うために思いめぐらして、主の愛をもっと悟ろうとすることはすごく大事です。もっと信仰の歩みを力強く進めるために…。

 

具体的には、たとえば自分はどれくらいテレビを見ているか考えて頂けると、一つの提案ができます。テレビを見る時間を減らして、その代わりによく祈って聖書を読むようにお勧めします。それだけでも二倍の効果があるのです。テレビを通して、私たちの心には世間的な考え方が育ちます。それは、私たちをキリストから遠ざける原因にもなるのです。だからそれを減らすことによって、その影響も小さくすることができる。それは一つの効果です。

もう一つの効果は、祈りのうちに思いめぐらし黙想して聖書を読むことによって、キリストの思いや考えが私たちの内に育っていきます。それは、私たちをキリストに近づけるものになります。二倍の効果があるのです。特に、主の愛をもっと深く悟る恵みを求めたら、それが大きなカギになると思います。

 

私たちはキリストの愛をもっと深く悟れば悟るほどそれだけ意欲がわいてきて、努力を惜しまないでもっと主に近づこうとするようになります。そうだとしたら、本当に今年の四旬節の歩みは有意義なものになって、今年の復活祭をもっと大きな喜びをもって迎えることになるのです。