典礼コーナー 5

―「奉献文」―

日本カトリック典礼委員会 具正謨(クウチョンモ)神父(イエズス会)

 

カトリック新聞2022年3月27日号―新しい「ミサの式次第」の実施に向けて―より

 

<奉献文の位置付け>

・奉献文は感謝の典礼の中の一つの要素として位置付けられています。感謝の典礼はイエス・キリストが最後の晩餐で「パン(と盃)をとり、感謝をささげ、裂いて、弟子たちに与えた」という4つの動作が儀式的に発展したものです。「パン(と盃)をとり」は「供えものの準備」の中で、「感謝をささげ」は「奉献文」の中で、「裂いて、与えた」は「交わりの儀」の中で発展していきました。

 

<奉献文の祈りとしての特徴>

・何より、それがさまざまな要素を含んだ統一された一つの祈りであるということ、そして共同体全体の祈りであるということです。

 

 

式次第 現行『ミサ典礼書』 新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」
叙唱前の対話句

司:主は皆さんとともに。

会:また司祭とともに。

司:心をこめて神を仰ぎ、

 

会:賛美と感謝をささげましょう。

司:主は皆さんとともに。

会:またあなたとともに。

司:心をこめて、

会:神を仰ぎ、

司:賛美と感謝をささげましょう。

 

会:それはとうとい大切な務め(です)。

奉献文の始まり:「心を込めて」~「神を仰ぎ」は、司祭と会衆が対話をしながら、一心同体の姿勢(皆の心を、神を仰ぎながら、込めること)でこの祈りをささげるということです。司祭一人が唱える→対話的に変えることによって、奉献文の祈りとしての共同体的な力強さを明らかにしました。

栄唱

司:主キリストによってキリストとともにキリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、

会:すべての誉れと栄光は、世々にいたるまで、

司:主キリストによってキリストとともにキリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、すべての誉れと栄光は、世々にいたるまで、

会:アーメン

奉献文の最後:栄唱の後半の部分「すべての誉れと栄光は、世々に至るまで」を一緒に唱える→会衆の応答を「アーメン」に限る。それはむしろ最初の対話句で司祭と会衆が対話を交わしながら会衆が自分たちの祈りを司祭に委ねたことを最後まで守るという意味を持っています。そのため「一同は、尊敬と沈黙をもって」奉献文の祈りに積極的に参加するのです。共同体の最後の「アーメン」はその参加が十全なものであったことを明らかにするものになります。

 

<奉献文の神学>

・①奉献文は聖書における「想起」(旧約の民が祈りにおいて、常に自分の先祖たちに救いのみわざを示してくださった神を思い出す)の思想を反映しています。それは過去の出来事を想起することによって、今もなお働いておられる神様の恵みの現存を意識し、その信仰体験を深めるためです。様々な叙唱は想起の要素を一番よく表しています。

②奉献文は、今、教会共同体が必要とする恵みが聖霊の働きを通して与えられるように嘆願します。その一つは今このミサで奉納されたパンとぶどう酒の上に聖霊が注がれ、キリストの御体と御血となることへの嘆願です。もう一つはキリストのいのちを拝領する共同体が一致することです。

 

・実はこの二つの嘆願は密接に結びついていると言えます。パウロは教会のことを「キリストの体」として表しました。信者たちはまずは洗礼を受けることによってそのようになり、主の晩餐に与ることによってキリストの体として成長していくのですが、それを可能にしてくれるのは聖霊の働きなのです。