「キリストはまことに復活された!」(ルカ 24 : 34)

東方教会では特別な復活節の挨拶があるそうです。会った人に「キリストは復活された!」と言ったら、相手は「まことに復活された!」と答えます。これは復活の喜びをよく表す習慣だと思います。そして私たちの信仰の核心もよく表しています。聖パウロが断言します。「キリストが復活しなかったのなら、あなた方の信仰は虚しく、あなた方は今もなお罪の中にあることになります」(1コリント 15 : 17)。でもキリストはまことに復活されたから、私たちのために新しい命に生きる道が開かれました。

 

自分が新しい命に生きているという自覚があまりないと言う方もいらっしゃるかも知れませんが、今年の復活節はその方々のためにいい機会だと思います。復活の神秘が奥深いものですが、キリストは今もいつも生きておられて、その恵みの力が全く衰えたことがなく、今の時代に生きている私にも及んでいるということも意味しています。復活されたキリストが昔弟子たちに現れたように、私たちも今日も復活されたキリストに出会って変わることがいつも可能です。

 

そのためにどうしたらいいか、を聞く人もいるかも知れませんが、何年か前に受けた、洗礼を受けて間もない人の悩み相談を思い出します。その人は綺麗なものに憧れて、洗礼を受けたら理想の自分になると期待していましたが、洗礼を受けても自分があまり変わらないことに気づいたら気を落としたということでした。実は秘訣があります。理想の自分を目指して努力したら自分があまり変わりませんが、キリストを求めて、キリストを目指して努力すれば自分が変わります。実は私たちがキリストを求めているより、キリストが私たちを求めておられます。そして約束します。

 

「見よ、私は戸口に立って、叩いている。誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう」(黙示録 3 : 20)。