「神の子、主イエズス·キリストよ、罪びとの私を憐れんで下さい。」

主よ、あなたを信じて、あなたを愛しています。でもどこまで信じて、どこまで愛しているかは、自分でもわかりません。あなたは全てを越えて愛すべき方、私の全てを私に与えて下さったあなたに、私が私の全てを捧げるべきです。でもそこまで行っていないし、そこまで本気に行きたいかは、自分でもわかりません。そこまで行くべきだとわかっている自分がいますが、もう一人の自分、あなたの愛から身を守ろうとする自分もいます。

 

「神の子、主イエズス·キリストよ、罪びとの私を憐れんで下さい。」

 

主よ、人を愛することも難しいです。人を大切にしようと思っても、それはどこまで心からそうしているか、どこまで演じているかは、自分でもわかりません。主よ、あなたが私たちに、ご自分が私たちを愛したように、愛し合いなさい、と言われました。でも主よ、あなたが愛したようにですか。それはできません。私の心は狭過ぎます。人のことを考える時、自分のことも入り込みます。自分を忘れて自分を与え尽くすすべを知りません。

 

「神の子、主イエズス·キリストよ、罪びとの私を憐れんで下さい。」

 

主よ、あなたより自分自身のことが怖いです。あなたの愛は絶対に変わりません。でも私の愛は果たしてどこまで持つかは、自分でもわかりません。あなたは私を決してお見捨てになりません。でも私がどこまであなたに忠実を尽くすかは、自分でもわかりません。あなたは欺くことなく、欺かれることもありえないです。でも自分がどこまで誠意を持って行動しているか、どこまで自分を欺いているかは、自分でもわかりません。

 

「神の子、主イエズス·キリストよ、罪びとの私を憐れんで下さい。」

 

主よ、あなたは全てをご存知です。私は自分自身さえよくわかりません。誰が自分の過ちを知り尽くすことができようか。主よ、隠れた罪から私を清めて下さい。私が死んであなたの前に立って裁きを受ける時、全てが明らかになります。あなたの前で私が赤裸々で、あなたは全てを見通します。その時、言い訳も弁解の余地もないです。その時、自分も自分のことがはっきりわかるようになります。でも自分があなたに喜ばれるかどうかは、まだわかりません。でもあなたを離れてはどこへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。今のうちに私に自分の罪を教えて、回心の恵みを与えて下さい。

 

「神の子、主イエズス·キリストよ、罪びとの私を憐れんで下さい。」