「信仰生活の健康診断」

今年は典礼のC年だから、四旬節の第4主日にキリストの放蕩息子の例え話を読みます。その話に見える父親の姿は父なる神の心をよく表しています。その為にもこの話が多くの方にとって印象的で心が温まるものですが、その反面、自分があの息子のように酷いことをしたことがないから自分を息子の姿に見られません。

 

確かに堕落した生活をしている人に関して回心する必要がもっとわかるし、回心したら生き方が変わったことももっとわかります。でもキリストは一人残らず全ての人に回心するように呼びかけています。心から神を愛して隣人を愛するようになるには、一生を通して段階的に回心していく必要があります。

 

ただし、ちゃんとした生活をしている人の中で自分の罪がわからないという人が少なくありません。何を告白したらいいかわからないから、何年も赦しの秘跡を受けていない人もいます。実は自分の罪がわからないという心境自体は、原罪の影響で心が鈍くなった現れです。でも体の健康のことを考えてみて下さい。何の痛みもなくて体の調子がいいからと言って病気がないとは限りません。その体調の人の中でも末期癌が見つかる場合もあります。健康管理の上ではちゃんとした生活も大事ですが、定期的な健康診断も大切です。四旬節は比喩的に私たちの信仰生活の健康診断のようなものです。

 

こうした診断の為に参考資料をちょっと提供しましょう。

 

「神を愛する」心には「敬神徳」があります。この徳によって創造主を礼拝して賛美や感謝を捧げて、全てを統治しておられる主なる神に服従します。カトリック信者としてこの対神愛を実行するのは特にごミサを通してです。そうしたら私は主なる神から存在を初め全てを頂いているのに、その恩返しを怠って重要な理由がないのにごミサを休んでいないでしょうか。また人数制限があるから参加できない時には家で主に祈る為の時間を割いていますか。

 

「隣人を愛する」心は言葉使いに注意します。「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」(エフェソ 4:29)。私たちが話す言葉は相手の為でしょうか。それとも自分の為でしょうか。

 

他にもありますが、この四旬節を通して心を見つめて、回心して赦しの秘跡を受けて、心を清めて復活を相応しく祝う準備をしましょう。