「惨めな姿からキリストと同じ姿に」

今はコロナウイルスの感染状態が落ち着いているし、ワクチンの接種率も高くなっているから、去年のクリスマスの時期ほどの不安はないでしょう。ただし、相変わらず人数制限や感染防止の対策を取ることになるから、以前のような歌いっぱいの盛大なごミサやパーティができません。ちょっと寂しい思いをするでしょうが、これはクリスマスのもっと深い意味を考える機会でもあると思います。聖グレゴリオが説明します。

「私たちの本性は、病んでいたので癒しを、罪に落ちていたので再起を、死んでいたので復活を必要としていました。私たちは持っていた宝を失っていたので、これを取り戻す必要がありました。闇の中に閉じ込められていたので、光が必要でした。とりことなっていたので救い主を、囚人となっていたので助けを、奴隷であったので解放者を待ち望みました。このような重大な理由があったので、神は心を動かし、私たち人間の本性にまで下って、訪れて下さったのではないでしょうか。人間はそれほど惨めで、不幸な状態にあったのです。」   ニッサの聖グレゴリオの「教理大講話」より

 

教会が典礼で祝っている他の神秘と同じように、やはりクリスマスも「神は愛です。」(1ヨハネ4:16)という事実を表しています。実はその神の愛は、聖グレゴリオが書いている「惨めで不幸な状態」から人間を救って原罪の前に人間が生きていた幸せに連れ戻すことにとどまらず、未だかつて人間が経験したことのないような栄光に導き入れます。

 

「私たちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造り替えられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(1コリント3:18) 究極的にキリストがこの世に生まれたのは、私たちが「神の本性にあずからせて頂くようになる為です。」(2ペトロ1:4)

 

私たちがキリストと同じ姿になって神の本性にあずかるというのは、人間の想像をはるかに超えている偉大な恵みです。だから今年こそクリスマスのこの霊的に深い意味に目を向けて、外面的な祝いから、信仰のうちに心からの祝いにしましょう。