皆さん、キリストを憐れんでください。

今年は7月25日の主日からしばらく主日にヨハネによる福音の6章から読みます。キリストはパンと魚を奇跡的に増やして五千人も満腹するまで食べさせて、なお十二かごが食べ残りでいっぱいになったしるしを行われました。そのしるしを見た人々にキリストは「命のパン」を与えると言って、しかもご自分の肉と血がそれであると断言されました。こうして私たちの時代まで「ご聖体」のうちにキリストは私たちに有り余る程の恵みを与えて食べさせて下さいます。

教皇ベネディクト16世はご聖体を「愛の秘跡」と呼びました。深く愛している人は愛しているその相手に自分自身を与えたいと望んでいます。キリストはその生涯を通してご自分自身を私たちに与えて下さいます。おん独り子が人間となったことによって私たちにご自分を与えて、おん子が十字架上で私たちの救いの為にご自分を捧げたことによって私たちにご自分を与えて、ご聖体の制定によって今日までごミサにおいて私たちにご自分を与えて下さいます。

 

深く愛している人は愛しているその相手の愛を何よりも求めます。愛されないなら、「片思い」と言ってひどく苦しみます。「神は愛です」と聖ヨハネが断言します。この世の悲劇は「愛は愛されていない」ことです。キリストは片思いをして苦しんでおられます。マザーテレサはこの神秘を自分の霊性の中心におきました。愛の宣教者修道女会の修道院に行けば、チャペルの十字架の隣に「渇く」という十字架上のキリストの言葉が書かれています。彼女はその言葉のうちに、今日に至るまでキリストが私たちの愛に飢え渇いて苦しんでいる神秘を悟って、その飢え渇きを癒す為に自分の生涯を捧げました。

 

キリストは私たち一人一人に「渇く」と言って私たち一人一人の愛に飢え渇きます。ご聖体のうちにご自分を私たち一人一人に与えて、一人一人の手に与えて、一人一人の口に与えて「渇く」と言って私たちの愛を求めます。皆さん、キリストを憐れんでください。自分の愛に飢え渇いているキリストを憐れんで下さい。その愛から目を反らせないで、言い訳を言わないで、逃げ場を探さないで、自分の凍った心が溶けて主に対する愛が湧いてくるまでじっと見つめてください。

 

話が変わりますが、亡き母のことで多くの方から慰めの言葉を頂いて、母と私ども遺族の為に祈って頂いて、ありがとうございます。他に多くの方が同じ思いで祈っていながら私にまだそれを伝える機会がないと思います。そして共同体として向こうの斎場にお花を届けて頂いて、こちらでご一緒に祈る機会を設けて頂いて、ありがとうございます。皆さんに心から感謝します。