復活節第6主日 2021年5月9日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 使徒言行録 10章25~26、34~35、44~48節

第2朗読 ヨハネの手紙一 4章7~10節

福音朗読 ヨハネによる福音書 15章9~17節

 

お話の要約

皆さん、こんにちは。今日の復活節第6主日の朗読は、キリスト教全体と聖書全体の神髄を伝えている箇所だと思います。特に第2朗読と福音書で。使徒ヨハネはその手紙に書いています。「神は愛です」と。それは何よりも聖書とキリスト教全体の解釈の鍵です。あらゆる教えはそれによって解釈すべきです。

 

そして、その中でも聖ヨハネは強調します。「神は愛です。でも大事なことは、神様が私たちを先に愛してくださったことです。」キリストが福音書の中で「互いに愛し合いなさい」と言われるのは、神様の愛に対する私たちの応えです。神様は先に愛してくださった。それは聖書と教会のものすごく重要なところです。人間は自分のすることに集中する傾向がありますが、それでは何をするのか?神の愛が先にあるのです。それは忘れてはいけないところです。

 

その神様の愛を心に留めたら、そこでキリストは私たちに「互いに愛し合いなさい」と命令されます。愛に対する応えは愛です。でも、愛することは簡単ではない。一つ考えるところは、私たちはどこまで本気で愛したいと願っているでしょうか?人は愛されたいとは願っても、愛したいという意欲がどこまであるでしょうか?愛するにはそれなりの犠牲もあります。時間とか気力とか…。そこまで愛するのは難しい。確かに私たちは皆愛を持っているでしょうが、もっと心から愛するのは難しい課題だと思います。

 

問題は私たちの内にあるのです。本当に心から愛したいと思うなら、たぶん一つ気づきもあると思います。自分の心の周りに壁のようなものがあって、人を大切にしようと思いながらついつい自分自身のことが出てきて、果たしてどこまで人のためにやっているのか自分のためにやっているのか、曖昧なところが出てくるのです。人間が本当の意味で愛することができるのは、自分自身から出ていくときです。でも人間にとっては、自分自身から出ていくことは何と難しいことか!!まるで死んでしまうくらいの難しさがあるのです。キリストもこう言われました。「友のために命を捧げること、これ以上大きな愛はない」。でもそこまでいくには、どうも私たち人間には力が足りない。それが一番大きな問題です。

 

そこでまた最初に戻って、「神様は私たちを先に愛してくださった」ことを思いだしてください。もちろん、神様が弱い私たちを愛しておられることは確かです。ありのままの私たちを愛しておられます。でもそこだけ考えたら、先に進めないのではないかと思うのです。愛することは神様の愛に応えることだけではなくて、私たちの存在の目的でもあると言ってもいい。神様は先に人間を愛してくださった。愛をもって愛のために人間を創造されたのです。人間の本当の自己実現は、愛を持って自分を捧げることにあるのです。完全に自分自身から出ていくのは、人間の本当の自己実現であり、何よりの幸せなのです。だからキリストは言われます。「私がこれらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあって、あなたがたの喜びが満たされるためです。」それこそ人間の何よりの喜びです。でも、そこにいくには力が足りない。だから、その力を求めることが大切です。本当に私たちが愛したいと願うなら、主はその可能性を与えてくださいます。

 

キリストが話されたように、まず自分の身を捧げる思い、主の十字架に倣って。そしてそこに聖霊を求める。聖霊は神の力、神の知恵、神の愛そのものです。そこが鍵です。私たちは自分の力だけでは、キリストが愛したように愛することはできません。でも、聖霊は私たちの心に神の愛を注いでくださる方です。聖霊は神の愛そのものだから、私たちの心に住んでおられる聖霊によって、聖霊の愛をもって愛することができるのです。私たちはあと2週間で聖霊降臨を祝います。本気で愛したいと願うなら、この2週間ずっと祈ったらいいと思います。「聖霊、来てください。聖霊、私にあなたの愛、あなたご自身で私たちの心を満たしてください。私が神の愛に愛をもって応えることができますように。」そういう祈りを込めて聖霊降臨の準備をするなら、私たちは聖霊の恵みを豊かに戴くことができるでしょう。