復活節第4主日 2021年4月25日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 使徒言行録 4章8~12節

第2朗読 ヨハネの手紙一 3章1~2節

福音朗読 ヨハネによる福音書 10章11~18節

 

お話の要約

今回は復活節第4主日で、いわゆる良い牧者の主日になっています。教会の習慣として、良い牧者であるキリストを祝っている中で、教会の中の牧者の召し出しのためにも祈ります。その場合、良い牧者キリストと、教会の中の牧者の関係を正しく理解する必要があります。教会の中で誰よりもキリストご自身が牧者です。教会の中の牧者は、人がキリストにもっと忠実に従うように、キリストに対する信仰を深めるように、そういうことで助ける立場に過ぎないのです。この箇所は、牧者の召し出しのために祈りながら、私たち一人ひとり、キリスト者として自分のキリストとの関係はどうなっているか振り返る機会でもあります。

 

例えば、キリストはご自分が良い牧者であると言われます。聖書と典礼の注釈にあるように、「良い」ということばは、善悪の「善」ではなく、「目的にかなっている、役に立つ」という意味の言葉だそうです。言い換えれば、本物の牧者と言っていいと思います。偽牧者は、それに比べて雇い人です。真に私たちを導いてくださるキリストは、私たちを永遠の命に導く真の牧者、羊飼いです。それを導くために、この箇所にあるように“ご自分の羊は自分の声を聞き分ける。”これも注釈にありますが、原文は「聞く」ということばで「聞き従う」という意味もあるそうです。聞き分けて、聞き従う。それはすごく重要なところです。というのは、場合によって人は、自分が一生懸命キリストに事を伝えて願って、助けてくださいと、でもどこまでキリストの声を聞き分けて、キリストに聞き従っているか。人それぞれ違うとは思いますが。それが本当のキリスト者の姿です。キリスト者はキリストについて行くものです。信仰の歩みはキリストに導かれている歩みです。

 

でも、それだけではなくて、さらに深いところまでいきます。ここでキリストが言うには、自分の羊を知っており、そして、その羊もご自分を知っている。それは、ご自分と父、互いを知っているようなものだそうです。注釈にあるように「知っている」ということばは、単に知識として知っているのではなく、両者の間の深い交わりを表すことばだそうです。要は、キリストを信じることによって、自分がどれほど違う人間になっているか、そういう度合いでどれほど本当にキリストを知っているかがわかると思います。聖書の他のところでは、洗礼、信仰に入ることは、生まれ変わる、人が別人になるような感じです。キリストを本当に知っていることは人間にとっては大きな意味があります。その人自身がキリストを知る前に比べたら、違う人間になります。考え方が変わってきます。望んでいること、関心ごと、計画、目指していること、いろいろ変わってきます。精神的に一新されて新たな人間になる。それは、キリストを知るということの意味です。でも、そこまで行くにはなかなか難しいことも誰でも経験しているのです。

 

そこで、一つ問いかけがあるような気がします。というのは、キリストが教えてくださった道は、実は人間には無理です。はっきり言って。人間の力と知恵だけでは、人間が歩める道ではないのです。でも、なぜキリストはそんな無理な事を求めるかというと、結局、人間に自分の力と知恵で歩みなさいと言っていないのです。それは、恵みを前提として、自分が先頭に立って、ご自分の力と知恵で、人がご自分についてくるように、それを求めています。人間はなんとなく自分がやっているような感じがある限り、そこまでいかないのです。

 

そこで、一つ重要な経験は、人がいくら頑張っても、本当にキリストが求めているような生き方できない、そういう事を意識するようになったら、人はだいたいがっかりするかもしれないけれど、かえってそれは機会です。人が自分の限界、自分の力と知恵の足りなさを知っている事で、そこから解決の方法が出るのです。それは、主に力と知恵を求める事です。限界を知らない人はそこまで求めないのです。神様は私たちに自分の限界を経験させて私たちがご自分にそれを求めるようにうながしておられます。神様からの力と知恵といえば、名前があるのです。聖霊と言います。この復活節の間は、キリストの復活を祝って最後に聖霊降臨を祝います。聖霊降臨は、復活の神秘を完成する出来事と言ってもいいと思います。キリストはあらゆる恵みを私たちのために与えてくださいます。それは、聖霊を通して与えてくださいます。聖霊が私たちにその恵みに与らせてくださいます。

 

私はここでお勧めしたいところです。もし、キリストについていきたいと思いながらそこまで自分ができないと感じるときは、それを機会に、主に聖霊を送るように求めなさい。それを勧めたい。

「聖霊来てください」

このご復活節の間、聖霊降臨の時までそれを特に私たちの祈りにしたら、主は、私たちの自分の限界を認めてへりくだっている事をご覧になったら、聖霊をつかわして助けてくださる。