復活の主日 2021年4月4日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 使徒言行録 10章34a、37~43節

第2朗読 コロサイの信徒への手紙 3章1~4節

福音朗読 ヨハネによる福音書 20章1節~9節

 

<お話の要約>

主のご復活おめでとうございます。

ご復活のお祝いは、教会としては、一年の中で大きなお祝いです。死に打ち勝って私たちの救いをもたらしたキリストの復活、主なる神のこの上ない不思議なわざを祝っています。教会としては特にこの季節に一つの言葉をよく使います。

「アレルヤ」ヘブライ語の言葉で「主を賛美せよ」という意味です。私たちは言い慣れていますが、意味をもっと深く考える必要があります。どうして「アレルヤ」(主を賛美せよ)が復活に対するふさわしい反応なのでしょうか。理由は、神様の不思議な偉大なわざ、そのわざを通して、私たちに与えられた恵みに感謝を込めて、主の愛、慈しみ、その力を賛美するのです。慣れている言葉を言うのは簡単ですが、心を込めて言うには、もっと復活の意味を深く悟る必要があります。そのためには、使徒たちの箇所に耳を傾けたらよいです。

 

第一朗読で、聖ペトロは、当時の人々に、あなた方はこのことをご存知でしょうと、イエスについて言います。イエスは当時かなりの有名人でした。たくさんの奇跡を起こして、大勢の群衆がついてきて、注目を集めてきた人でした。話を聞き、奇跡を見た人は何千人、何十万人になったかもしれません。だから噂も伝わっていったでしょう。それは、歴史的なことで、神話ではありません。実際に私たち人類の歴史の中の出来事です。

 

そのあとも、聖ペトロは、イエスの死について、十字架に架けられて殺されたことにふれています。今の研究では、キリストが十字架に架けられた日は、紀元33年4月3日で、ヨハネとペトロが墓に行って、墓が空なのを見たのは、その日から数えて3日目の紀元33年4月5日、日曜日とわかっています。ですから、神話ではなく、歴史の中の出来事なのです。聖ペトロは続けて、復活してから一緒に食事をしたと言っています。食事をしたのですから、幽霊、幻ではありません。本当に復活されたのです。聖パウロの記録には、キリストは五百人もの人に、いっぺんに現れたとあります。世の初めから、人が死んで復活するというような聞いたこともない偉大なことは、神話の中ではあっても、歴史の中ではありません。

 

教会の中で祝っているのは、このイエスのことだけではなく、出来事の私たちに対する意味を受けて祝っています。人間は生まれながら死ぬ身になっています。人間の大きな恐怖は死ぬことです。キリストの復活によって死を超える命への道を開いてくださいました。キリストご自身が道になられたのです。ご自分でも真理、道、命であるとおっしゃいました。死を超える命はもちろん大きな恵みですが、もう一つのそれに劣らない恵みを与えてくださいました。キリストは、人を自分自身から救うことがおできになります。その恵みです。

 

私たちは、自分自身にとらわれるところがあります。まるで自分自身が墓のように、その上に重い石が転がしてあって、塞がれていて出られないのです。人間の自己中心的なところ、いくら自分で努力しても抜けられない状態、そのような人間の心の救いをキリストが与えてくださるのです。人間は、自分自身からの救いを必要としています。聖パウロが話している「あなた方はイエスと共に復活させられた」というところは、実際に体はまだ復活させられていないので、霊的な復活を指しています。自分にとらわれた罪の状態は、言わば、霊的に死んでいる状態です。キリストはその状態から私たちを解放し、救ってくださいました。神の愛には、私たちを自分から救う力があるのです。神の愛が私たちに与えられたことで、人間は初めて、自分自身から本当の意味で出ることができます。そして、キリストにおいて、キリストの受難と復活を通して、自分から出たら、もっと、命、光、喜び、平和の世界へ行く道が開かれます。