四旬節第1主日 2021年2月21日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 創世記 9章8~15節

第2朗読 ペトロの手紙一 3章18~22節

福音朗読 マルコによる福音書 1章12~15節

 

お話の要約

四旬節第一主日。毎年第一主日にはキリストが誘惑を受けたところが読まれます。マタイとルカは誘惑の内容を詳しく書いていますが、今年のマルコはキリストはサタンから誘惑を受けられたと簡単に記すだけです。それ以上の詳しいことは書いていません。

 

しかし、今日の他の朗読箇所全体を読むと、考えられることがあります。他の朗読箇所はある意味でキリストの活動全体を記しているといえるからです。また、誘惑を受けられた箇所の前にキリストが宣教されたことが書かれています。今年はすでに一月にこれを読みました。第二朗読のペトロの書簡は「キリストは罪のために一度苦しまれた」と記されていますが、それは十字架の苦しみを指しています。キリストは受難と復活を通して「肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされ、捕らわれていた霊たちのところに行って宣教されました」。ミサ中の信仰宣言でも「キリストは陰府にくだり」と称えます。後は「天に昇られて」ということが続きます。その意味でこのミサもキリストの宣教全体を語っています。

 

第一朗読も入れるともっと広い視野で見えてきます。ノアと結ばれた契約です。洪水の後、神はもう二度と生きるものを滅ぼさないことを約束されました。民を滅ぼさないと言われ、契約のしるしは虹であると伝えました。虹は、受け止め方が民族によって違うこともありますが、イスラエル人は神との契約を思い起こすものと考えました。

 

そのあとの契約にはモ―セとの契約もありますが、特にキリストとの新しい契約のしるしです。一度苦しまれたキリストとの契約のしるしで、十字架がそのしるしとなりました。十字架には横と縦の線がありますが、横を契約のしるしと考えるならそれが全世界に広がることを意味し、縦の線は神と人間とのつながりを意味します。キリストは苦しみを通して人間を神のもとに導くため、天国への道を開いて下さいました。

 

では、私たちの役割は何かと言うと、それは第二朗読に出てきます。洗礼の恵みは「肉の汚れを取り除くのではなくて、神に正しい良心を願い求めること」です。内面的な浄めによって内心のやましいところが赦されます。これは洗礼の恵みです。洗礼の時にはそれまでの罪を赦していただきました。しかし、そのあとにも人間は罪をおかしてしまいますから赦しを求める状態になります。ですからこれは赦しの続きを指しています。

 

四旬節は本来、復活祭に洗礼を受ける人のための準備の時期でしたが、洗礼を受ける準備をしている人を見守りながら、すでに洗礼を受けている人たちは自分の洗礼の更新にも努めるのです。実際に復活祭には新しく洗礼を受ける人のための式がありますが、同時に、すでに受けている人の為には洗礼の約束の更新があります。教会はそこまで四旬節の務めを持っていくことを目指しています。ここで洗礼の約束を更新します。洗礼を受けると、それ以前の罪を赦していただきますが、人間の弱さはすぐにはなくなりませんから、洗礼の後にも罪をおかしてしまいます。四旬節はそのための回心のときです。

 

自分を振り返って、特に今年、主は私にどの点での回心を望まれるかを考えてみましょう。これも大切です。人間は一気に完全になることはありません。信仰の歩みを続けるために、成長するために、今の私に何がとくに妨げになっているかを神に気づかせて頂いたら成長していきます。そうすれば復活を祝うとき、洗礼の恵みを更新することになるでしょう。