「コロナ災の1周年」

新たな緊急事態宣言が出てコロナ災が長引いています。そう言えば去年の今ごろ中国の新しいウイルスの話が急に話題に上がりました。遠い昔のように感じますが、1年前のことです。

 

私たちはこの1年間は何を学びましたか。

 

1月の教会委員会で年間テーマについて話し合ったら引き続き「共に祈り、共に歩もう」というテーマになりました。このテーマになってから何か変化があったかという問いかけもありましたが、逆説的に自由に集まれない中で互いのつながりをもっと感じるようになったのではないかと思います。特に広報部は色々な発信をしたり信徒の声を聞こうとしたりしてきました。多分皆さんにとって教会からこれほどの連絡があったのは初めてでしょう。そして多くの方は集まれない時でも心を合わせたら一緒に祈れるという経験したのではないかと思います。

 

このコロナ災から他に信仰の歩みに関して学べるところがあります。

 

この1年間は自分の主との関係を振り返る良い機会だったと思います。次々何かがある生活から離れたら、寂しさや不安を感じながら、自分と向き合う時間になれます。そしたら主なる神はどこにおられるか、特に自分の生活、自分の人生においてどこにおられるかを見つめる機会になれます。全ては主なる神の摂理の中にあるから、全ての出来事は信仰の歩みの為の材料になれます。

コロナ災はキリスト者の希望を学ぶ機会でもあります。不安の中で自分が何を拠り所にしているかを考える機会です。キリスト者の希望は主にかけているもので、他に人間的な支えが無くなればなる程、もっと純粋な希望になれます。

 

しばらくしたら四旬節に入ります。去年と同じようにコロナ災の中の四旬節になりそうですが、普通の四旬節より恵みの時になれます。この1年間を振り返りながら、自分の心、主との関係を見つめるなら、いつもより恵み豊かな四旬節とご復活節になれます。例年のように皆が集まって祈りの日などが出来ませんが、皆が互いの為に祈りながら回心の歩みに励むなら、主において「ともに祈り、ともに歩もう」ことになります。