「主よ、あなたの道を示して下さい。」

教会は自然界のリズムに合わせて、年の終わりに、自然が冬の眠りに入ろうとしている時期に、死者のために祈って世の終わりの神秘を黙想します。世界を揺り動かした今年のコロナ禍の中で、私たちはいつもと違う心でこの時期を迎えるでしょう。多くの方はこのコロナ禍の意味を探していますが、「今の生き方を振り返りなさい」という主の呼びかけでもあるのではないかと思います。何れにしてもこの世を越える主に希望をかける人はもっと現実と向き合えるでしょう。

私としては先日、宣教部会と第五地区セミナー検討委員会に参加したことがきっかけで、新たに日本の教会の終わりについて考えました。日本の教会が衰えていくのが目に見えます。社会の高齢化と少子化に拍車をかけられて、幼児洗礼と結婚式が少ない、教会学校の子供たちが集まらない、成人洗礼も少ない、行事の負担が大きい、葬式だけはよく続いているという具合です。これは大船教会だけではなく、一般的な現象です。

 

そして多く貢献したカトリックの中高学校からは、シスターや修道士の姿がほとんど消えてしまいました。現時点では校長はシスターや修道士と一緒に働いた経験のある信徒で、カトリック学校としてのアイデンティティーを維持しようと努めていますが、次期の校長を選ぶ時にその心を持っている人を見つけるのは難しくて、カトリック精神そのものが学校から消えるではないかと懸念します。

 

ここにも主からの問いかけがあるような気がします。

 

先ずはこの世を越える主に希望をかける教会として、現実と向き合って私たちの知恵と力の限界を認めて、主の知恵と力を求めるように呼ばれていると思います。ギデオンが経験したように(士師記7章を参照)聖パウロも経験したように(2コリント12章1節~10節を参照)人間が思い上がらないように、自分の無力さを謙遜に認めている人のうちに主がご自分の力を表します。信仰の観点から現実を見なければ、海辺に宿営していて、エジプト軍に追いつかれたイスラエルの人々のように怖くなるばかりでしょう。でもその時、主は海の中を通る道を開いてイスラエルを救って下さいました。(出エジプト記14章を参照)それは私たちにとって大事な教訓です。私たちの主は道のないところに道を開くことができる方です。

 

「主よ、あなたの道を私に示し、あなたに従う道を教えて下さい。あなたのまことに私を導いて下さい。教えて下さい、あなたは私を救って下さる神。絶えることなく、あなたに望みをおいています。」(詩篇25篇4節~5節)