「お母さん、一緒に祈ってくれ」

最近、なかなか祈れないと言う方から聞いた話ですが、亡くなった母親に「一緒に祈ってくれ」と頼んだらロザリオを祈ることができたそうです。子供の頃、母親と一緒にロザリオを唱えた経験が心に残って祈れる力にもなったでしょうが、教会の信仰では天国にいるだろう母親が今の息子の状態を知って祈ってあげて助けたということも十分考えられます。

教会は10月を「ロザリオの月」と呼んで普段唱えているロザリオの大切さを強調する期間にしています。大船教会では10月の間にロザリオをテーマにした「祈りの集い」を計画してきましたが、今年はウイルスのことで中止になりました。でもこれを機会に今まで集まってきた方々だけではなく、皆さんにロザリオの祈りを大切にして頂ければと思います。コロナ禍の中で祈る理由はいくらでもあります。自分のため、家族や友達のため、苦しんでいる人のため、皆が主なる神に立ち返るため、このコロナ禍から主が新しい命をもたらして下さるため、などなどです。そして私たちは決して一人で祈っている訳ではありません。ロザリオそのものは天の母マリアと一緒に捧げる祈りです。聖母マリアと一緒に主イエズスの色々な神秘を黙想しながら私たちの必要としている恵みを願います。聖母マリアと一緒に捧げる祈りは聖母マリアの執り成しによってもっと主に喜ばれる祈りになります。「お母さん、一緒に祈ってくれ」という思いを大切にしながらこの10月を過ごしたいと思います。

 

さて、話が変わりますが、この度霊的花束を用意して頂いて心から感謝しています。神学生の頃、長く長ーく準備してやっと26歳で司祭になった気持ちでした。今になって振り返ったら「若かったな、若かったなあ」という思いで、あんなに若かった、未熟な自分がここまでやってきたのは決して自分の力によるのではなかったことをつくづく感じます。両親は誰よりも支えてくれたと思いますが、その一番大切な支えは両親が毎日欠かずに私のために祈ってくれたことです。今の私があるのはまさに恵みによるのです。そしてその恵みを頂いたのは両親や多くの方々の祈りのお陰です。だからこそこの度の霊的花束を心から感謝しています。