「生涯の日々を数える知恵」

アメリカでは「敬老の日」がないから、両親に祝いの言葉を送ってもわからないでしょう。でも四年前のことを思い出します。父とコンピューターで話していた時、私の62歳の誕生日が近かったから、父から祝いの言葉をもらいました。私はそれを感謝してから「でもこんなに早く62歳になると思わなかった」と付け加えました。父は大笑いをして「88歳も同じだよ」と答えました。

 

皆さん、なぜ年を取っていくと時間がもっと早く経つかを考えたことがありますか。三つの説があると思います。一つ目は「割合」のことです。8歳の時、一年間は私の人生の8分の1でした。でも66歳の今、66分の1だから比較的に短く感じます。二つ目は「期待」のことです。子供の頃、どちらかというと、クリスマスを楽しみにして、夏休みを楽しみにして、誕生日を楽しみにしていたから、その時までの期間は長く感じました。大人になったら、どちらかというと、来週まで、金曜日まで、明日まであれこれをしなければならないから、期限が迫っていて、その時までの期間は短く感じます。三つ目は一番簡単です。人生の下り坂に入ったら自然にスピードを出します。(念の為に書きますが、三つ目は冗談です。)

 

聖書を書いた人も「光陰矢のごとし」ということを知っていました。

 

「人生の年月は七十年のものです。健やかな人が八十年を数えても、得るところは労苦と災いに過ぎません。瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去ります。生涯の日を正しく数えるように教えて下さい。知恵ある心を得ることができますように」詩篇90: 10, 12。

 

それでもう一つ思い出しました。電車の中で「もしも一年後、この世にいないとしたら」という題名の本の広告が目に付きました。末期癌の患者さんと関わっている精神科の先生が書いた本だそうです。そして広告には、「人生の締め切りを意識すると明日が変わる」とも書いてありました。やはり、詩篇作者が書いた通りです。知恵を得る為に生涯の日々を数えることが大事です。

 

どんな知恵かと聞かれたら、先ずは自分の命は自分の所有物ではなく戴いたものです。そして命を与えて下さった主なる神に信頼してその計らいに身を委ねることです。詩篇作者はこのことも知っていました。

 

「あなたの御計らいは私にとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。数えようとしても、砂の粒より多く、その果てを極めたと思っても、私は尚あなたの中にいる」詩篇139: 17~18。