年間第19主日 2020年8月9日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 列王記上 19章9a、11~13a節

第2朗読 ローマの信徒への手紙 9章1~5節

福音朗読 マタイによる福音書 14章22~33節

 

お話の要約

みなさん、こんにちは。いつものことですが、まだ今週の聖書箇所を読んでいない方は、この動画を止めて読んで黙想してから、またこの動画を見てください。

今週の話をします。この間からずっとマタイ福音書の中の、キリストが「神の国」を示している箇所を読んできました。3週間続けて、キリストは特にたとえ話で「神の国」を示したのです。先週と今週は、その行動によって示しています。先週は、主は憐れみを持って病人を癒し、空腹を覚えた群衆のためにパンと魚を増やす奇跡を起こし、その行動を通して、「天の国」と主の慈しみと恵みの豊かさを示しました。

 

今回キリストは、ちょっと違う奇跡で「天の国」を示している。今回はおもに弟子たちに向かって、彼らのために「天の国」を示している。自分の力、神の子としての力をもっと示している感じ。というのは、病人を癒したり食べ物を増やしたりする所にも確かに神の力が示されているけれど、人を助けるもう一つの側面がある。ここでは力を示すことが焦点になる。キリストは湖の上を歩いて、船に乗っている弟子たちの方に行き、その大自然に対する力、その不思議さを示している。前回、空腹を覚えた群衆をパンと魚を増やして養ったのと同じように、今回は弟子たちの信仰を養う。キリストが自分の力を、自分自身のことを示している感じで、弟子たちにご自分が誰であるかに気づいてもっと信じるように、信仰を養う奇跡である。結果としてはそのとおりになった。最後に弟子たちはイエズスに、「本当にあなたは神の子です」と信仰宣言をした。この時点では「神の子」の理解は、「イエズスは真の人間でありながら真の神である」という、今教会が宣言している信仰までは成長していないが、この方は神様から遣わされた方、この方の内に神様の力が特別に格別に働いているという信仰宣言だったと思う。

 

この話には、信仰を養うことと同時に、一つの教訓もあるような気がする。今回の「聖書と典礼」の注釈には次のように書かれている。「マタイ福音書はこの出来事の中に、自分たちの教会の不安定な様子を重ね合わせて見ているようである。不安に怯える弟子たち、教会と共にいてくださるキリストへの信頼が求められている。」その意味では、信仰と同時に信頼への呼びかけでもある。これは、キリストがペトロに向けられた言葉、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」にも見られる。たぶん私たちは皆、ある程度信仰の薄い者ではないかと思う。そしてそのことを一番感じるのは、不安や怖れに取りつかれている時ではないかと思う。全て順調にいっているときに信じるのはそれほど難しくないが、実際の具体的な問題がある中で、どうなるか心配で不安定な時、その時にも主に信頼することはそれほど容易ではない。家族の問題、仕事の問題、経済的な問題、または今のようにウイルスの問題があって見通しが立たず、この先どうなるか分からない時期には、人はたいがい自然と不安を感じる。そんな時にただ主に信頼しなさいと言われても、どうやって神様を信頼すればいいのか、自分の意思で気持ちを引き起こすのはなかなか難しいと思う。

 

そこで一つ簡単な方法を紹介したい。数年前から神の慈しみの信心、確かヨハネ・パウロ2世の時だったと思うが、復活祭の次の主日を「神の慈しみの主日」と定めた。それはこの教会の中で育った、主の慈しみに対する信心を記念して勧める祈りの日だったと思う。その中の簡単な祈りの言葉は、「イエズスよ、私はあなたに信頼します」。このことは一つの意思表示。私たちがなかなか信頼できない、信仰することが難しい時には、少なくとも信じようとする心、信頼しようとする心があれば、それも主は喜ばれる。その意味で、この祈りは簡単で意義のあるものだと思う。自分が不安や怖れを感じている時、「イエズスよ、私はあなたに信頼します」とずっと繰り返していけば、信頼しようとする心を表す。そして主は、そのように信じよう、信頼しようとする心を喜ばれ、ご自分の恵みを与えて、私たちは今よりいくらかでももっと信じるように、信頼するようになる。

 

キリストは、私たちは自分の力では何もできないと教えられました。けれども、その恵みに応えようとすれば、主は慈しみを持って私たちを助けに来られます。そうだったら私たちも、まるで乗っている船が湖の真ん中で嵐に合ったかのような不安と恐れに取りつかれた時、この弟子たちのことを思い出しましょう。主に向かって「イエズスよ、私はあなたに信頼します」と祈って、こんな風に信仰を養われて育つようにしましょう。