聖霊降臨 2020年5月31日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 使徒言行録 2章1~11節

第2朗読 コリントの信徒への手紙1 12章3b~7、12~13節

福音朗読 ヨハネによる福音書 20章19~23節

 

<お話の要約>

今回は聖霊降臨の祝日で、これは復活節の締めくくりという感じですが、時間的というだけではなくて、神秘を完成するという意味合いもあります。というのは、確かにキリストは受難によって罪のゆるしという恵みを与え、復活によって新しいいのちという恵みを与えることになりますが、実際に恵みが私たちに届くためには、そこに聖霊の働きがあるのです。キリストが受難を受けて復活しただけだったら、救いは得られても私たちには届かない状態です。でも聖霊が来られることによって、私たちもその恵みに与ることになるのです。

聖パウロも、今日の第二朗読で、「聖霊によらなければ、誰もイエスは主であると言えない」と言っている。初代教会では、イエスが主であると言うのは一番短い信仰宣言だった。ここで聖パウロが言っているのは、聖霊の助けがなければ私たちは信じることもできないということ。確かに、私たちは洗礼と堅信の時に聖霊を受けている。聖霊は、神殿にいるように私たちの内に住んでおられるが、聖霊に助けられていてもそのことに気づいていない場合が多い。第一朗読には、最初に聖霊が降ったとき、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」とある。この現象はあまりにも大きな音だったので、他の人々も気づいて集まった。普通、聖霊は静かに働いている。それとは気づかないような形で。でもそれだったら、聖霊の助けを受けながらそれに気づかない。聖霊の必要性をそんなに感じない。

 

思い起せば、聖霊の必要性を感じた経験は多くの人にあると思う。たとえば、自分が何をしたらいいかわからないとき、人間関係などで戸惑う時、神様の助けを求めて祈ってもまだ迷う感じがするときは、聖霊を必要としている表れだと思う。聖霊は光、私たちの心を照らして導く方なので、そんな時聖霊の助けを求めるのはいいと思う。または、どうすればいいかわかっているけれど、できないとき。特に信仰生活の上ではキリストの教えははっきりしているから、どうすればいいかわかっているけれどできない状態のとき。たぶん誰でも経験したことがあると思う。それも聖霊の必要性を感じる一つの経験です。というのは、聖霊は神の力、私たちに力を与える方。聖霊の続唱のところにも指摘されている。

 

使徒たちの経験を見ればわかるが、聖霊が降るまではそれほど福音宣教できなかった。聖霊の力によって、キリストをもっと証しするようになった。その意味では、聖霊はとても重要。キリストの恵みを豊かに戴くため、信仰生活を送るために、大船教会では「ともに祈り、ともに歩もう」ということをテーマにしているが、その歩んでいる道はキリストご自身。「私は道であり、真理であり、命である」と言われる。でも、その道を歩める力は聖霊。聖霊の力によって、キリストの道を歩めるようになる。

 

前に「ノベナの祈り」を紹介したから、皆さんの中にはそれを祈ってきた方もいると思います。特にこの聖霊降臨の祝いに、心から「聖霊来てください」と祈りましょう。私たちの心に、私たちの世界に。この世界の中に昔も今も、神様の愛を知らない人、どんな善いことをやっても神様の愛までは知らない人は結構いる。その人たちが神様の愛をもっと戴けるように、聖霊の助けを願いたいと思います。