復活節第6主日 2020年5月17日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 使徒言行録 8章5~8、14~17節

第2朗読 ペトロの手紙1 3章15~18節

福音朗読 ヨハネによる福音書 14章15~21節

 

<お話の要約>

みなさん、こんにちは。復活節は後半に入ってそろそろ終わり、来週の日曜は主の昇天、その次は聖霊降臨を祝います。それに合わせて教会も、ずっと主の最後の晩餐の箇所が読まれます。毎回のことですが、この箇所をまだ読んでいない方がおられるなら、ちょっと動画を止めて、この動画の下に出ている聖書の箇所を祈って黙想してからまた戻ってください。

キリストは最後の晩餐のところで、自分が去っていくという話をする。今度の日曜日も同じ箇所で、弟子たちを慰めるために、キリストはこう言われる。「あなたがたを孤児(みなしご)にはしておかない。あなたがたのところに戻ってくる。」今の復活節とその後のことを考えたら、二段階になるような感じがする。この最後の晩餐の席で、キリストは受難と復活を前にしている。キリストは受難においては去っていくが、復活して戻って来て、ご自分を弟子たちに現す。でも昇天の時、キリストはまた別の意味で去っていく。それはここで言われているように、弟子たちを孤児にはしていないが、目に見える形では弟子たちと一緒にいない。その代わりに聖霊を遣わす。聖霊においてキリストは、また一緒にいられることになる。もう少し先のところで、キリストは弟子たちに言われる。「かの日には私が父の内におり、あなたがたが私の内におり、私もあなたがたの内にいることがあなたがたに分かる。」それはやはり聖霊の働きによる。聖霊が私たちの心の目を照らして、私たちがそういうことを分かるようにしてくださる。目に見えないキリストが一緒におられることを分からせてくださる。

 

ここでひとつ提案したいことは、今の状況と大船教会の歩みを考えると、この時期の祈りとして「ノベナの祈り」を勧めたい。この祈りは9日間の祈り。教会の伝統の中で、何か特別な意向などのために、9日間続けて毎日祈る習慣がある。そして、この「ノベナの祈り」はちょうどこの時期にさかのぼる。キリストは日曜日に復活し、聖書に書いてある通り、40日間いろいろな所で弟子たちに現れ、一緒に食事をして話された。日曜日から40日間数えたら木曜日にあたり、天に昇られた。そして次の週の日曜日、50日目に聖霊降臨があった。昇天の後の金曜日から聖霊降臨の前日の土曜日まで数えたら、ちょうど9日間。聖書にある通り、昇天の後で弟子たちはエルサレムに戻って、聖母マリアと一緒に心を一つにして熱心に祈っていた。それが最初の「ノベナの9日間の祈り」。それを記念するのに、特に今年はその気分に近い感じがする。今の時期は普通のように教会に集まって一緒に祈ることはできないが、それぞれの家で弟子たちと聖母マリアと一緒になったつもりで、9日間祈って過ごしたらいいと思う。

 

今の大船教会の歩みをもう一つ先に進めると、もっとキリストを、共同体として皆で一緒に追い求める必要があると思う。追い求める心はすでに愛の表れ。人間関係でも、他の人に惹かれるとその人に近づこうとする、その人のことをもっと知ろうとする、それは既に愛が芽生えている表れ。キリストは、ご自分を愛する人に自分自身を表すと約束してくださった。私たちは兄弟としてもっとキリストに結ばれるために、キリストのことをもっと知るようになるために、もっとキリストを追い求めるところから始めていいと思う。

 

今年の復活祭は4月12日。40日後は5月21日、この次の木曜日になる。以前は教会として木曜日に昇天を祝っていたが、最近はもっと多くの人がその祝いに参加するために日曜日に移した。その「ノベナの祈り」9日間は、今年は来週金曜日22日から次の土曜日30日までになる。その間の祈りとしては、弟子たちも聖母マリアとともに祈ったと書いてあるし、今は5月の聖母月でもあるので、ロザリオを一連唱えるごとに簡単な祈りを入れる。聖霊の助けを求める祈り、たとえば「聖霊来てください。私たちをキリスト引き寄せてください」というような、求める心をもっと強くする、聖霊の助けを求めるような祈りを入れる。ロザリオを唱えながら、聖霊の助けを求めてずっと9日間続けたら、神様はその恵みを与えてくださると信じる。

 

一つの具体的な案ですが、皆さんに薦めたいと思います。大事なポイントは、自分自身だけではなく、私たち皆のために祈っているところです。私たちは教会としても、「共に祈り、共に歩もう」をテーマにしています。今は共に祈ることができないけれど、私たちは心を合わせて皆のために祈ることができます。この機会に、この恵みの季節に、体は離れても心を合わせて一緒に祈り一緒に歩みたいと思います。