復活節第4主日 2020年5月3日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 使徒言行録 2章14a、36~41節

第2朗読 ペトロの手紙1 2章20b~25節

福音朗読 ヨハネによる福音書 10章1~10節

 

 <お話の要約>

みなさん、こんにちは。今回の聖書の箇所をまだ読んでいない方は、どうぞこの動画を止めて少し聖書を読んで黙想し、そのあとまた戻ってこの動画を見てください。

 

今日は復活節第四主日。いつも善い牧者であるキリストについての箇所が読まれるが、それに関連して、世界召命祈願の日にもなっている。大船教会でも関心は深く、大船教会からも召命が出るように毎月祈っている。でも、本当に召命が出るためには共同体のあり方もとても大切だと、今回の福音書を読んで特にそう感じました。

 

福音書の中で、キリストは羊飼いとして自分の羊を一匹一匹名前を呼んで連れ出して、先頭に立って良い牧草の所に導いてくださる。そういうイメージはキリストが話している。そこで特に注意してほしいことは、キリストの声を聴いてキリストについていくということ。

 

大船教会では「ともに祈り、ともに歩もう」ということをテーマにしている。三年目になったが、やはりこの「ともに祈り、ともに歩もう」というのは、皆一人一人キリストの声を聴いてキリストについていって歩もうということになる。「ともに祈ろう」というところは、特にキリストの声を聴き分けるためについていく歩み。それが本当の信仰の歩み。もちろん司祭にはその歩みを助ける役割があるが、人が自分でやることの代わりにはならない。たとえば教会の人の中にとてもお腹のすいた人があったとして、司祭がいくら食べてもその人は満腹しない。その人に代わることはできない。司祭はキリストの声を聴くために手伝おうとはするが、一人一人がキリストの声を聴こうとしなければ何もならない。

 

今はウイルスの関係で、みな普段の生活とは少し違う暮らしをせざるを得ないが、キリスト者として考えると、神様が何を思っておられるのか、私たち人間は完全に把握できないけれど、でも確かにこれは神様から与えられた時間として有意義に使うことが大切だと思う。

 

普段はキリストの声を聴こうと思っても、生活の忙しさや世の中の騒がしさなどがあってなかなか聴き取りにくい。その意味からもこれは本当に良い機会。普段できることができないから時間もあると思うので、そのために力を入れたらいいと思う。

 

たとえば、今日の福音書をゆっくり祈りながら読んだら、あとは自分がその聖書の中に想像して入るように読む。ここでは羊のイメージが使われているので、自分が羊になったつもりで、キリスト自身が自分の名前を呼んでいること、自分がそのキリストの声を聴いてついていくことを想像すればいいと思う。どんなふうにキリストが自分の名前を呼んでいるか。自分はどういう気持ちでキリストについていくか。

 

聖書全体から見れば、神様は愛であると断言されている。確かに、キリストが私たちを呼ぶときには愛を込めて呼んでいる。愛のまなざしで呼んでいる。そして先頭に立って私たちの前を行くとき、幸せ、最上で最高の喜びに導いてくださる。もちろんそれはいつも楽ではないが、聖ペトロの言うように、私たちはキリストの苦しみにも与るように呼ばれ、その苦しみを通して喜びに導いてくださる。

 

そういうふうに考えて黙想して祈ったら、聖書に対しても違った考えが出てきます。最初に聖書を手に取った時には感じないかもしれないけれど、キリストを求めてキリストについていきたいという思いで、キリストの愛をもっと深く知りたいという願いを込めて聖書を読み祈りの中で黙想したら、キリストご自身がご自分の声を私たちの心に響かせます。