「お母さん、助けて」

隣の幼稚園も休園になって保育ができないから、先生たちは「子供の日」と「母の日」の資料を準備して送るように計画しています。私の子供の頃、家で「母の日」を祝っていましたが、アメリカでは「子供の日」がありません。

ある年、兄弟の誰かが母に「母の日と父の日があるけど、なぜ子供の日がないの」と聞いたことを覚えています。母は「だって毎日が子供の日なの」と答えました。考えて見れば確かに毎日母に色々なことをしてもらいましたが、毎日のことだったから当たり前のように感じていました。でも特に困った時、どうしたらいいかわからなかった時、母に話したらいつも助けてくれました。大人になったら、その毎日のことも感謝していますが、子供の頃その困った時に助けてもらったことは特に心強かったです。

 

カトリック信者なら5月に入ったら私たちの天のお母さん聖母マリアのことを考えます。やはり親元にいる子供のように私たちは色々聖母マリアに助けてもらいながら生活しています。5月はそれを意識して感謝しながら聖母マリアの助けを信頼をもって求める機会ですが、この間紹介した「メモラーレ」の祈りはコロナウイルスで大変な状態におかれた私たちに適切な祈りだと思います。教皇フランシスコも4月25日に全てのカトリック信者への手紙を出して、疫病の中で聖母マリアの助けを求めて家でロザリオを唱える習慣を取り戻すように呼びかけました。そして自分が3月11日のビデオメッセージの中で聖母マリアに唱えた祈り(カトリック新聞3月22日日付を参照)のコピーを付けてそれをロザリオの終わりに唱えるように勧めました。教皇様も5月の間その祈りを唱えるから私たちと心を合わせて一緒に祈っているということです。

 

正確な翻訳ではありませんが、このような祈りです。

 

聖母マリアよ、あなたは救いと希望のしるしとして私たちの歩みをいつも照らして下さいます。

私たちをあなたに委ねます。病者の癒しであるあなたは十字架の下でイエスと苦しみを共にし、あなたの信仰を確かなものとされました。ローマの民の救いであるあなたは、私たちが必要としていることをご存知です。そして私たちはあなたが助けて下さることを確信しています。それは、カナでの婚礼の時のように、この試練の時の後に、私たちが喜びと祝宴にあずかるためです。神の愛の聖母、私たちを助けて下さい。御父のみ旨に従い、イエスの言われるように行うことができますように。イエスは私たちの苦しみをご自身で担い、私たちの苦難をも背負い、十字架をとおして、復活の喜びに導いて下さいました。聖なる神の母よ、私たちは庇護を求めて駆け寄ります。栄光に輝く聖なる乙女よ、試練のうちにある私たちの祈願を退けず、私たちをいつもあらゆる危険からお守り下さい。