信徒へのメッセージ 2020年3月1日

 

<お話の要約>

今は結構世の中が大変な状態になってます。特にキリスト者としてはこんな大変な時をどう生きたらいいか、それは特に大切なこと。導きとしてはまず聖書を見るべきです。

 

イスラエルの民は何回もこんな大変な時期を生きた。干ばつ、飢饉、疫病、戦争など多くの災いを経験して、その中から神様に助けを求めた。そのことは詩編にもあるし、預言者を通しても読めるところ。そのたび罪を告白して神の助けを求めてきた。それは意義あること。誰にでも助けを求める時は来るが、それは“困った時の神頼み”のような心で災いが過ぎると忘れてしまう。私たちは神様に対して決して貸しがあるのではなくて借りがあり、その上罪も犯しているので、現代社会としてその事実を認めて神様の前にへりくだって助けを求めるべきである。

 

今日の福音書「荒れ野での誘惑」では、キリストが自分の力を自分の為に使うようにという誘惑を受けた。現代社会は神様抜きで動いている。自分たちの力で全部解決しようとしている。それだったら普段そう生きている人間は、その事実を認めないで助けを求めるとはどうなのか... 私たちもキリスト者として色々な人のために祈るよう招かれている。自分の罪も考えて、その一員である国民の罪を認めて助けを願えばいい。

 

自分の言葉で祈ればいいが、たとえばこういう祈りはどうでしょう。

 

「主よ、私たちはあなたに罪を犯しました。あなたを無視して何でも自分の力で生きていこうとしています。こんな私たちを憐れんで回心の恵みを与えてください。主イエスの尊い御血によって私たちの心を清め、私たちの体を疫病から守って下さい。」

 

ミサには参加できないけれど、それぞれの家庭で祈ってください。この社会のため、特に困っている人々のために心を合わせて祈りたいと思います。