「罪の赦しと花咲く愛」

「子を持って知る親の恩」という日本の諺がありますが、確かにほとんどの人は自分が親になった時初めて、自分の親のありがたさがわかるようになります。私には子を持つ経験がありませんが、去年5月、園便りで母のありがたさをわかったことについてこう書きました。

「子供の時、春になったら『四月の雨、五月の花』という言い回しをよく母から聞きました。日本はもっと暖かい気候なので『三月の雨、四月の花』になるでしょう。いずれにしても花が大好きな母は、母の日に花をもらったらとても喜んでいました。

もう八十歳を越えている母は、今はあまり元気ではありませんが、若い時はとても活発で行動的な人でした。困ったことがあったら母のところに行くと、何かと助けてくれました。母は決して完璧な人ではないです。大人になるにつれて、母の欠点や限界が見えてくるようになりましたが、それによりかえって、母に対する感謝が増していきました。もし完璧な母なら努力をしなくても全てのことが問題なくできたでしょう。しかし、自分の欠点や限界を抱えながら私たち子供のために献身的に尽くしてくれた母の愛は、もっともっと身に染みて感じます。

花は脆くてしぼむものですが、母の愛は弱さの中にあって強いものです。」

 

私たちと主なる神の間に逆の現象があります。愛をもっと身に染みて感じるのは相手の弱さを通してではなく、自分の弱さを通してです。つまり、罪の赦しを通してです。自分の罪に気づかない人もいれば主の赦しに気づかない人もいます。何れにしても罪は主の愛を経験する機会です。キリストも言われました。

 

「赦されることの少ない者は、愛することも少ない」 (ルカ7:47)

 

聖パウロが説明しているように、主の愛は特に罪の赦しにおいて示されています(ローマ 5:6-11を参照)。

 

話しは変わりますが、8月に大船教会でも「集会祭儀」を行うことを計画しています。「集会祭儀」とは司祭なしの時の礼拝の仕方です。基本的には「み言葉の祭儀」と「交わりの儀」からなります。第6地区では司祭不足の為に何年か前から定期的に行っています。こちらの第5地区において今は司祭が十分いますが、いつ変わるかわかりません。地区内の教会にいる8人の司祭の半分は75歳以上です。第5地区でもそろそろ「集会祭儀」を経験する必要があると思います。詳細は後日に伝えます。