「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から」

ひと昔前、別の教会にいた時、ある婦人に会いました。彼女は何か心を満たすものを求めていました。そして自分が日本人だからキリスト教みたいな西洋の宗教は自分に関係ないと思って、色々な仏教の宗派の寺などを訪ねました。ところが、どこに行っても自分が求めていたようなものを見つけられませんでした。やがてこだわりを捨てて教会を訪ねました。しばらくしたらすごい恵みを頂いて、それは「棚からぼたもち」のようなものだったと言いました。

 

日本人の中でこの婦人が考えたように考えている方は珍しくないと思います。確かに仏教と違ってキリスト教は西洋から伝わってきました。ただし、それは西洋人が考え出した宗教ではなく、神ご自身が全人類に与えて下さった救いの道です。キリストが日本人の為にも来られたからこそ最初の宣教師が犠牲を払って日本まで来ました。

 

復活節第四主日のごミサの中で読まれた、聖ヨハネが幻で見た天国の有様も同じことを伝えています。

「この後、私が見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、誰にも数え切れない程の大群衆が、白い衣を身に着け、手にナツメヤシの枝を持ち、玉座の前と子羊の前に立って、大声でこう叫んだ。『救いは、玉座に座っておられる私たちの神と、子羊のものである。』」(黙示録7:9-10)

 

「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から」と書いてあるから、やはり日本人もその大群衆に入って、心が完全に喜びで満たされて感謝して賛美しています。玉座の前と子羊の前で喜びに喜んでいる日本の殉教者と聖人たちは同胞を決して忘れていません。むしろ、完全な愛をもって全ての日本人が仲間に加わって一緒に喜ぶようにと熱願して祈っています。

でも先述の婦人が考えたように多くの方が考えているにしても、この婦人のように心の飢え渇きに気づいている人は少ないという気がします。先月書いたように、多くの方は真理と幸福を求めてやまない自分の心を抑圧したり紛らしたりします。人間の力でそれに気づいてもらうことは無理だと思います。だから天の力を借りて働きかけましょう。

「日本の殉教者、日本の聖人よ、同胞の心に刻まれて、その奥底に潜んでいる神への憧れの火花が燃え上がるように祈って下さい。」

 

 

話は変わりますが、バーク神父様が亡くなってから来月で一年になります。一周忌を記念して6月22日(土)の16:30のミサを神父様の為に捧げます。