「御子によって私たちに語られました。」

神は聖書によると、悪魔は最初の人間に、自分たちが神のようになると約束して、彼らを口車に乗せて、神に逆らうようにとの説得に成功しました。しかし、人間は神のようになるどころか、恥ずかしい思いをして、恐れて惨めにも神に身を隠してしまいました。(創世記3章参照)

 

それ以来、今日に至るまで、恐れが人間の生活につきまとってきました。例えばニュースを聞いたら、この日本は将来どうなるかと、不安を感じる理由がいくつもあります。北朝鮮を巡る緊張が高まって、戦争になったら大変なことになるのではないかと考えられます。社会的に貧富の差が広がっていますが、若者がなかなか正社員になれないで、経済的な余裕がない中でどうやって結婚して家庭を持てますか。どうやって日本の文化を受け継げますか。そのことに個人的な不安があります。私は果たして人並みな人間でしょうか。仕事に、子育てに、人間関係に失敗するのではないかと、心のどこかで気がかりのある人が少なくないと思います。人間が安定を求めて作り上げた社会は色々な面で不安定を生み出します。

 

2017年には、その一番はっきりした例を記念しました。百年前に共産党はロシアで初めて政権を握るようになりました。「労働者の楽園」を築き上げると約束しましたが、かえって大虐殺を繰り広げて、百年の間に全部で一億人を越える犠牲者を出しました。人間の力で地上に楽園を造ろうと思えば、むしろ地上の地獄を造ってしまいます。

 

「神は、かつて預言者たちによって、多くの形で、また多くのやり方で先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によって私たちに語られました。」(ヘブライ1:1-2)

 

主なる神はご自分のもとを離れて不幸になった人間を憐れんで、ユダヤという一つの民族を選んで、その先祖に語って、ご自分を信じるように教えました。そしてご自分の御一人子を遣わして、ご自分を恐れて近づかない人間の間に、御子を赤ちゃんとして生まれさせました。こうして主なる神は人間に語りかけました。「威厳に満ちた創造主である私を恐れて近づかないなら、自分を無にして可愛い赤ちゃんになった我が子に近づきませんか。心の不安に駆られて悪戦苦闘しても、自分の思うように平和にならないなら、可愛い赤ちゃんに惹かれるまま、我が子の内に示されている私の愛を信頼して安らぎを得ませんか。何を恐れていますか。あなたの恐れは迷子になって、不安になった子供のようなものではありませんか。ご覧なさい、赤ちゃんになった我が子を。親が震えている子を抱いて慰めるように、私はあなたを抱きたいものです。我が子を与えた私はあなたに全てを与えました。それでもまだ私を信じられないと言うのですか。」

 

「私たちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵の上に、更に恵を受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵と心理はイエス・キリストを通して現れたからである。」(ヨハネ1:16-17)