教会の「聖母の時代」

キリストご自身が教会の頭(かしら)です。世の終わりまで教会を治めて、世の終わりまで教会を導いておられます。旧約時代のイスラエル人は特に預言者を通して主に導かれました。 

教会の場合は特に使徒たちの教えを忠実に守って、それに基づいて判断している教皇様と司教たちを通して主に導かれますが、その時代の必要に応じて、キリストが聖人たちや神秘的現象を通しても、ご自分の教会に道を示してくださることもあります。

 

私たちの時代はどうですか。ここ二百年ぐらいの教会の歩みを振り返って、主が教会を「聖母の時代」に導き入れたと、教皇ヨハネ・パウロ2世は言いました。1854年に、主に心を動かされて、世界の司教たちの圧倒的な賛成に励まされた教皇ピオ9世は、昔から信じられてきた聖母マリアの無原罪の御宿りを教会教義として宣言しました。四年後のルルドの出現の時、名前を聞かれた聖母は「私は無原罪の御宿りです」と言って教義宣言を承認しました。1950年に、同じように主に心を動かされて、同じような世界の司教たちの賛成を得た教皇ピオ12世は、昔から信じられてきた聖母マリアの被昇天を教会教義として宣言しました。

 

その二つの教義宣言の間に世界が大きく変わりました。共産主義はロシアを始め、東ヨーロッパや中国、北朝鮮で政権を握って、キリスト者に対する厳しい迫害を繰り広げました。教皇ヨハネ・パウロ2世が話したように、20世紀の教会は殉教者の教会に戻りました。しかも20世紀の殉教者の数は、それ以前の1900年の間に殉教した人たちの総数より多くなりました。

 

ファティマの聖母出現(*)はその大変な20世紀の初頭に起こりました。聖母マリアは、1917年10月のロシア革命の半年前からその危険性を説明して、教会と世界の平和の為に罪びとの回心の為の祈りと犠牲を呼びかけました。普通なら教皇たちは聖母マリアの出現にあまり触れませんが、教皇ピオ12世以降歴代の教皇たちはファティマのメッセージを比較的によく取り上げました。教皇たちはそれだけ教会の頭であるキリストが聖母マリアを通して私たちの時代に道を示して下さったことを認めたからだと思います。

 

中国や北朝鮮でキリスト者の迫害が続いていると言っても、旧ソ連の破壊で共産党の政権が少なくなって前より教会は自由になりました。その反面、イスラム過激派のキリスト者迫害が色々な所で増えています。ファティマの聖母出現の時、聖母マリアはこのイスラム過激派による迫害について話さなかったのですが、メッセージがその為にもあることを暗示しました。聖母マリアはイスラム教の聖典コーランにも出ているし、イスラム教徒は聖母マリアをとても尊敬しています。それにイスラム教祖ムハンマドの愛娘の名前はファティマでした。(スペイン半島にイスラム政権の国々があった時代にその名前が町の名前になりました。)これを考えたら、イスラム過激派による平和に対する脅迫に立ち向かうには、ファティマの聖母のメッセージがとても大切ではないかと思います。

 

こうして教会の頭であるキリストのみ心によって、私たちの時代に聖母マリアの使命はもっと目立つようになりました。なぜかは説明されていないですが、もしかしたらファティマの聖母マリアこそイスラム教徒の心に訴えられるから、または現代の人々は母親の声にもっと耳を傾けるからかも知れません。

 

 

(*)ファティマの聖母出現

第一次世界大戦末期の1917年5月13日。ポルトガルの山の中にある村「ファティマ」の3人の牧童の前に聖母マリアが出現し、世界の平和のために毎日ロザリオを唱えるように勧めた出来事。